ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

車飛ばして美術展へ... 林忠正のこと

 昼から天気が崩れるという予報を見て、朝から隣の市にある美術館へ車を走らせました。車の運転は、やはり青空の下がいい。「高岡で考える西洋美術ー<ここ>と<遠く>が触れるとき」(国立西洋美術館、高岡市美術館など主催)という企画展が気になっていて、そろそろ会期末が近づいたため出かけたのでした。

 上野の国立西洋美術館の巡回コレクション展で、「高岡で考える...」というタイトルにある通り、かなりの部分が、パリを拠点に活躍した高岡市出身の美術商・林忠正と関連のある作品や資料で構成されています。

 林忠正。

 名前がほとんど知られていないのは、過去の美術史家が彼の仕事を評価しなかった、あるいは否定的な意味を込めて無視した歴史があるからです。美の売国奴ではないか、と。

 江戸末期に加賀藩の蘭方医の家に生まれた林は、明治11(1878)年に渡仏。以来30年にわたり、パリで美術商として活躍します。日本から浮世絵その他の美術品を買い付け、ヨーロッパで大流行したジャポニズム(日本趣味)の需要に応えたのです。

 それはビジネスを通した日本美術の紹介でもありました。特に浮世絵は印象派の画家たちに多大な影響を与えました。林は無名の貧乏画家だった彼らに浮世絵を提供し、代わりに小さな作品をもらったりしました。後に印象派が一世を風靡するとは、だれも想像していない時代です。

 ちなみに、印象派を最初に日本に紹介したのは林だとされています。

 現地の日本美術研究家たちに対しては、求められてさまざまに助言し、研究に必要な美術品は商売抜きの値段で売ったりもしています。彼らが出した本や研究書は、日本美術、特に浮世絵について欧米での評価の土台を固めました。

 そんな林は、日本の一部知識人の目に「貴重な美術品を海外に流出させた」と映りました。明治時代が終わろうとするころ、林は日本に西洋美術の本格美術館を建設する構想を持って帰国しますが、夢を果たすことなく52歳で没しました。

 林が多くの作品を海外流出させたのは事実でしょう。しかし、庶民の娯楽絵に過ぎなかった浮世絵に、美的価値を見出したのはヨーロッパでした。林らの活躍があったからこそ、ジャポニズムは一時的なブームからスタンダードになり、いま世界中の美術館に、さまざまな浮世絵が良好な保存状態で収蔵されています。

 私たちが持っている現在の浮世絵の価値観は、西欧から逆輸入した評価に基づいています。もし浮世絵がずっと庶民の娯楽絵のままであったなら、国内でさえどれだけの作品が良好に残っていたか分かりません。

 

 原田マハさんの「たゆたえども沈まず」(幻冬社)は、ゴッホの壮絶な生き様を描いた小説です。もう一人、主役級の役割を担って登場するのが林忠正。二人の交友という大胆なフィクションで成り立っていて、史実はさておき、林という人間に生き生きと血を通わせています。

 林の正当な評価を試みた作品でもあるのですが、読んだころはまだブログを始めていなかったのでレビューは書いていません。それまで林については大まかに知っているだけだったので、この小説で一気に興味が膨らみ、今日は美術館へ車を走らせたというわけです。

 企画展はなかなか見応えがあり、展示解説文も詳しくて(やや肩に力が入りすぎた文章だったけど)、キュレーターの熱意が伝わってきました。こうした企画展が出てきたこと自体、林を再評価する動きがあるのかな?

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 撮影禁止だったので、展示を写真で紹介できないのが残念。せめてチケットと本の写真でも....

 

 wikiには、林が「国賊」と呼ばれた他の理由も記されています。簡略に言えば、美術品の売買に関して、当時の日本の乱暴な商習慣ではなく、国際ルールに従うよう日本の作家や業者に強制したことに起因するというものです。興味のある方はwikiをご参照ください。