フリーで家事代行を営む地味な女性。彼女の仕事先で、独り暮らしの男性が絞殺されます。やがて、60代の独り暮らし男性の不審死が複数、彼女の周囲で起きていたことが明らかになり...。「沈黙法廷」(佐々木譲、新潮文庫)は骨格がしっかりしているから、安心して面白さに身を委ねることができる小説です。
いい小説とは何か。純文学であろうとなかろうと、わたしの基本にある尺度は「面白い」あるいは「夢中になれる」、かどうかです。もちろん何が面白いかは人の数だけ違うわけで、わたしの面白いがほかの人と一緒にはなりません。わたしにとって佐々木譲と言う名前は、面白さにおいてまずは安心できるブランドネームです。
プロローグで描かれるフェリー乗り場のシーン。待ち続ける女性は、ついに現れません。このシーンが生きるのは中盤以降。うまいなあ。若くて、貧乏で、でもまっすぐに生きる。そんな気持ちを、この小説は最後まで裏切りません。
複数男性の死の捜査は、警視庁(東京都)と埼玉県警、県境を挟んだ二つの警察組織が競い合うかたちになります。こうなった時、まともな情報交換などあるはずもない捜査のリスキーさは、現実社会もほぼ同じです。「人を殺したら、隣の県に捨ててこい」とさえ、言われるくらいですから。
小説は3部構成。プロローグのあとは「捜査」「逮捕」「法廷」。章立ての通り、警察小説と法廷ミステリーが1冊に詰まっています。佐々木さんの小説の安心感は、警察の内部を描いても、法廷描写でも、地に足がついたリアル感にあります。
フィクションですから現実を構成するおびただしい「要素」の中から、適当なものだけをピックアップするわけですが、その「要素」自体を捏造していないリアル感です。警察小説はいろいろありますが、実はこの点に違和感を覚えたり、しらける小説が結構あります。つまり、地に足がついていない。
さて、彼女はやったのか、やっていないのか。裁判の無罪は、イコール「やっていない」ではありません。無罪か有罪かと言う問いは、全ての真実に迫ってはいなくて、やっていないのなら真犯人の存在が必要です。彼女は本当に「やったのか、やっていないのか」。この小説はその点にも、明確に答えてくれます。
個人的なエピソードですが、雪の舞う日、女性連続誘拐殺人事件の男性被告に、一審判決が言い渡された裁判を傍聴したことがあります。判決は、無罪。被告が再び腰縄を打たれることなく、弁護団が用意していたジャケットに袖を通した瞬間を思い出しました。ちなみにこの事件には女性の共犯者がいて、そちらは死刑判決が確定しています。