ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

夜食に切り餅と青紫蘇を食う 〜食の記憶・file6

 夕食後、食器を洗ってから部屋に行き、焼酎お湯わりを飲みながら、読書やオンラインゲーム、油彩のお絵描きで過ごすのが日常になっています。合間を見つけて風呂に入り。

 本が面白いと、すぐに午前1時2時になってしまう。翌朝の出勤時間を気にしなくていいのは、会社勤めから解放された老いの贅沢です。

 肴もなしにちびちび飲み続けていると、深夜に小腹が空いてくる。普段はせいぜい煎餅を1、2枚齧る程度で我慢するのですが、昨夜は一皿作ることにしました。と言っても、たいそうな料理ではありません。

 切り餅をオーブントースターで焼き、青紫蘇の実の醤油漬けを乗っけただけ。漬け醤油も少々垂らして。わたしは紫蘇の実が好物で、あの香りとぷちぷちした歯触りは、炊き立てのご飯と相性抜群です。あるとき、ふと「ご飯だけでなく、餅でもいけるのでは」と思いつきました。わたしオリジナルの一皿です。えへん!

 

 高校生のころまで、年末の餅つきはわが家の恒例行事でした。朝からかまどに火を入れて母が餅米を蒸し、父が杵を振り下ろして幾臼もついたものです。中学生になるとわたしも杵を持ちました。

 最初の臼は、神様にそなえる鏡餅。つき上がると父が天神様にそなえる大きな鏡餅をこね、母と祖母も手早くたくさんの丸餅を仕上げました。やや小ぶりなのは神棚用で、さらに小さな鏡餅をたくさん作り、台所や勉強机、果ては車庫のトラックにまでそなえました。

 手作りなので同じ大きさにしたつもりでも微妙な大小があり、何にどの鏡餅をそなえるかは、わが家における必要性と重要度の反映でした。

 いま思えば、家の中の什器と道具類に、それぞれ神様が宿っておられた。

 つまり、古来からの日本人の信仰(八百万=やおろず=の神、八十諸神=やそもろかみたち。八は、8でなく限りなく多いという意味)が生きていたのです。

 次の臼からは人が食べるための餅をつく。のし餅は、黒豆や昆布を交ぜたり、塩だけ効かせたりと何種類かありました。固くなったのし餅を、小さく切ったのが切り餅です。最後の臼は、あんこやきな粉をまぶした丸餅にしました。

 昔の田舎では、幾臼の餅をつけるかが、家々の貧富を推し量る一つの目安でもありました。わが家はとても裕福とは言えなかったけれど、つきたての熱々の餅のなんとおいしかったことか。

 「気ぃつけられ、やけどせられんな」

 20年前に逝った母の声が、まだ耳の底に残っています。わたしが餅を好物にしているのは、子供時代のこんな体験が基になっているのだと思います。今は便利な世の中になり、スーパーに行けば年中、個包装の切り餅をパックにして売っています。

 ところで葉っぱの大葉は一年を通じて売っているのに、青紫蘇の実の方は秋にしか店頭で見かけません。なぜだろう。季節感があって、まあそれはそれでいいけれど..。

 秋になると決まって、青紫蘇の実を数パック買います。安い。青紫蘇はやはり大葉がメーン商品で、実の方はおまけみたいな扱いなのでしょうか。醤油漬けにするのは簡単で、ネットでたくさんレシピを拾えます。

 どのレシピも似通っていますが、わたしの場合は紫蘇の実を水洗いし、熱湯に1分ほどくぐらせてからザルにあけます。ペーパータオルで水気を取り、そこいらの空き瓶(直前に煮沸消毒)に詰めるだけ。実全体が浸るまで醤油を入れ、小さく切った昆布、鷹の爪を少々加えてしっかり蓋をすれば終わりです。冷蔵庫で3日もすれば漬け上がります。

 味醂や酒を少々加えたりと、小技を弄した年もありますが、違いがよく分からず、今はできるだけシンプルをモットーにしています。

 普通の濃口醤油に漬けると黒っぽくなり、薄口醤油だと青い色がみずみずしく残る。味は微妙に違うので、うちはそれぞれの瓶に2種類作っています。

 ただし。

 食い物というのは料理人の思いが入るので、特に素人の場合、作った本人がおいしいと感じるほど、おいしくないことは多々あります。切り餅に青紫蘇の醤油漬けは、あくまで個人的なマッチングの好み。夜食だけでなく、これに具沢山の一汁を添えて、シンプルな食事にしても悪くないよなあ。ときには、ご飯やトーストに代わる変化球として。

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 うちの紫蘇の実醤油漬け、濃口(左)と薄口の2瓶