ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

生きて、書いて、愛した人 〜「放浪記」林芙美子

 一気に通読するだけが、「放浪記」(林芙美子、新潮文庫)の読み方ではないと思います。わたしは併読本として、気が向いたときに少しずつ読み進み、気づけば2カ月余り。ページを開くといつも、林芙美子という魅力的な女性に再会し、大正時代の日本社会の雑踏の空気を吸いました。

 小説のようなストーリー展開はありません。(○月×日)で始まる日記形式の身辺雑記と、思いの吐露。下女、カフェーの女給、セルロイド人形の絵付けなど、職を転々として、なんとも貧乏。なにせ、長続きしないのだから。彼女の目を通して描かれる、街や人々の姿も鮮やか。

 みかん箱の机で詩や童話を書いて売り込み、たまに採用されると溜めた下宿代を払い、コメと魚を買って幸せに浸る。困窮極まると水を飲んで腹を満たし、女友達に頼り、別れた男たちを思い出します。

 

 

 例えば飴玉と板昆布で空腹を凌いだ翌日は、こんな具合です。

 

 (五月×日)

 「少女」という雑誌から三円の稿料を送って来る。半年も前に持ち込んだ原稿が十枚、題は豆を送る駅の駅長さん。一枚三十銭も貰えるなんて、私は世界一のお金持ちになったような気がした。(中略)

 急にせっせと童話を書く。

 みかん箱に新聞紙を張りつけて、風呂敷を鋲でとめたの。箱の中にはインクもユーゴー様も土鍋も魚も同居。あいなめ一尾買う。米一升買う。風呂にも入る。

 

 

 新潮文庫版は3部構成になっています。もともとは「放浪記」「続放浪記」の2冊の単行本、これに戦後に発表された<第3部>をまとめて、1冊にしたものです。

 冒頭に「放浪記以前」と題したプロローグがあり、両親と各地を転々とした生い立ちが語られます。唯一、明確なプロットがあるのはこの約10ページだけで、詩情漂う文章は、本編の導入として生きています。

 プロローグには出てきませんが、林芙美子は少女時代から相思相愛の相手がいました。彼が東京に遊学すると、高等女学校を卒業した芙美子も上京。しかし、男の父母が行商人の娘である芙美子との結婚に反対。男も親に逆らえず(情けない!)、二人の関係は破綻しました。

 東京で一人生きる芙美子は、大正11(1922)年から同15年にかけて、雑記帳に日記を綴りました。3年後に雑記帳から抜粋して雑誌に連載を始め、昭和5年に「放浪記」として刊行されました。

 「放浪記」はベストセラーになり、同年、再び雑記帳の未発表部分を抜粋編集して「続放浪記」を刊行。ですから、「放浪記」以降の出来事が「続放浪記」ではなく、第三部も含め、同じ5年間の記述です。

 生々しくかわいい一人の女と、大正デモクラシーから暗黒の昭和へ向かう時代の息吹が立ち現れてきて、長く読み継がれてきた理由が納得できました。

          

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