ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

自分探しのベースキャンプ 〜「『日本』とは何か 日本の歴史00」網野善彦 講談社

 自分を探す18歳 みんなが自分を探す81歳

 

 以前、SNSで見つけて思わす破顔した標語(?)です。80を過ぎてしっかりした高齢者はたくさんいらっしゃいますから、けしからん!と言えばその通りなのですが、18歳より81歳によほど近い自分としては、もう少し長生きできたなら、周りに迷惑をかけることのない81歳になりたいと苦笑いしたのでした。

 しかし「私とは何か」を探しているのは18歳に限らず、もしわたしが81歳になって、少々認知機能が怪しくなり、自宅に通じる道を失したとしても、それとこれとは別で、やはり「私とは何か」を問い続けている気がするのです。もちろん、明確に意識化されているとは限りませんが。

 「私とは何か」は、人間が自意識を獲得して、外の世界や人々と向き合った瞬間に生まれ、たとえ認知機能が衰えても(消失しない限り)死ぬまで消せない心の属性だと思うからです。

 さて、仕事の暗い森を抜けて、久しぶりに草原の太陽を浴びたようなここ3、4日。明日は白内障手術で、まず左目から濁った水晶体を入れ替えます。長い年月お世話になってきた左右の眼のレンズを人工物に置き換え、部分的サイボーグに変身。

 現状のリセット。だからと言って、「私とは何か」などと改めて考えたりはもちろんしません。でも、この本を再読しようかなと心が動いたのは、無意識下で「私とは何か」という悪魔の囁きがあったのかも...。

 「『日本』とは何か 日本の歴史00」(網野善彦 講談社)は、2000年に刊行された講談社の「日本の歴史」26巻の最初の1冊。巻数が「01」ではなく「00」なのは、これが通史である本編のプロローグにあたる日本論、もしくは日本人論だからです。

 刊行年から推測できる通り、21世紀を迎えるに当たって「日本とは何か」を改めて確認しようという、講談社の意図が感じられます。こうした「出版社は文化の一端を担っている!」という意気込みに満ちた企画と、最近ほとんど出会えないのはかなり残念です。

 この「00」巻  石器時代の日本人の生活は狩猟と採集と...

 ではありません。そこでいうところの「日本人」もしくは「日本」は、どんな過程でいつ意識化されたんだ?が出発点です。石器時代の人に、自分は日本人だという思いも、国としての実態も存在しません。本書の入りは太平洋戦争のアメリカによる原爆投下。そして自然破壊と公害。そこから一気に、過去の歴史観=日本という国の把握=に疑問を投げかけ、太古から現代に至る教科書的な歴史を総点検・批評します。

 歴史書なので、興味がないと、難しい(というか、詳細すぎる)箇所も散見されますが、刊行から20年以上を経たいま再読しても、新鮮さは色褪せていません。そして、ああ、その延長上に自分があるんだと思う。

 

 自分を探す18歳 みんなが自分を探す81歳

 

 自分探しをするルートは千差万別です。決して踏みしめることのできない頂上を目指す自分探し(悲しいw)の、ルートは人の数だけあると思います。そして歴史書だろうと時代小説だろうと大河ドラマだろうと、歴史認識はあまたある中腹のベースキャンプの一つです。

 「いや、おいらが自分を探すベースキャンプはロックだよ!!」というのも、もちろんありで、ロックミュージックと褥を共にできない自分の感性の貧しさは残念な限りなのですが。だってロックの方が、なんだか楽しそう。