<紙>の歩みをたどって日本の歴史を描く。そんな本はこれまでなかったのではないでしょうか。そもそも紙という素材、めったに表舞台で注目されません。だからこそ紙の視点から歴史を眺めると、思いがけない新鮮な景色が広がっていました。
「日本史を支えてきた 和紙の話」(朽見行雄、草思社)は、ページを開くと弥生時代の終わりごろ、邪馬台国の女王・卑弥呼の話から始まります。
中国の歴史書に倭国(=日本)が登場する最初は、1世紀の書かれた「後漢書」。次が3世紀の「三国志」の中の「魏志倭人伝」です。どちらも日本はまだ弥生時代で、学校の教科書にもありましたね。魏が海の向こうの邪馬台国に詔書を送り、邪馬台国から返書を受け取ったと記されています。
日本の歴史学者たちは、ここに記された使者の行程の記述から、邪馬台国があったのは九州か、それとも関西の畿内かを長く論争してきました。
ところが紙の視点から見ると、まったく違う疑問が浮かび上がります。当時の中国の詔書は、もちろん高級紙に筆で書かれていました。つまり弥生時代終わりごろ、詔書を受け取った日本人は、ごく一部にしろ漢字を解し、書くことができた。
邪馬台国には、中国の大国に宛てて返書を記す紙も筆もあったのか?。紙は国内生産されていたのか、それとも貴重な輸入品、渡来物だったのか?。そして記録上、紙に接した最初の日本人として固有名詞をあげることはできるのは、卑弥呼ということになるのです。
ちなみに日本で最も古い文字(漢字)の使用例は、5世紀の古墳から出土した鉄剣に刻まれている銘文です。埼玉県稲荷山古墳の鉄剣の場合、X線調査で115文字の漢字が浮かび上がってきまた。卑弥呼の時代から200年以上後の、辛亥の年7月(西暦471年)に銘文を刻んだと記されています。
こんな考古学の成果にとらわれ、わたしは文字や暦の使用は5世紀の古墳時代から始まったのだろうと、勝手に想像していたました。しかし、なるほど「魏志倭人伝」。その記述から、卑弥呼と文字使用に関して類推すべきことが自分に欠落していたと、目から鱗が落ちました。
文字の歴史をたどると墨書土器や木簡などもあります。特に木簡は飛鳥、奈良時代以降、紙が貴重品だったため、荷札や一時的な記録媒体として使用されました。
本書は、古代から現代まで全11章の構成。律令国家における和紙の役割、紙巻筆を使って「源氏物語」を書いた紫式部と和紙の関係、浮世絵師の要望を満たした和紙など、新しい視界を与えてくれるトリビア(雑学)満載です。
中国の紙や現代の西洋紙と異なる、和紙の特徴とは何か。手作業による製造工程や特質も丁寧に解説されていて、全編から和紙への愛が伝わってきました。