ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

あの物語は何だったのか 〜「一杯のかけそば」栗良平

 「一杯のかけそば」(栗良平、角川文庫)という短い物語が、ブームを超えて社会現象にまでなったのは、バブル景気さなかの1989年でした。もともとは作者が語り部になって口演行脚していた話が活字になって話題になり、NHKで朗読され、国会の質疑にも登場しました。

  ある必要に迫られて読み直しました。...大晦日の夜、札幌の時計台近くにある蕎麦屋さんに、貧しい身なりの母と2人の男の子がやってきます。閉店間際にかけそば1杯を注文し、3人で分け合って美味しそうに食べました。

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 実は事故で父を亡くし、母は事故の賠償金を背負いながら2人の息子を育てているのです。父の好きだったこの店のそばを食べるのが、母子に許された年1回だけの贅沢でした。翌年も、その次の年も、3人は大晦日の閉店間際にやってきてかけそばを分け合うのですが、ある年からぷっつり来なくなります。

 ...この物語、実話という触れ込みだったのですが、やがてあちこちから疑念が出されました。加えて、作者の良からぬ過去の振る舞いが明らかにされ、人気は一気にしぼみます。

 しかし、作品というものは、作者の手を離れて世に出た瞬間から、作品として独立した評価をすべきで、作者の評価と切り離すべきでしょう。実はフィクションだったのなら、フィクションとして評価すればいいだけです。

 そしてなぜ「一杯のかけそば」というフィクションが、あのとき社会現象にまでなったのか。

 ふり返れば一億総中流と言われた「飽食の時代」に登場した物語でした。高度経済成長期に歯を食いしばって働き、豊かさのかけらを積み重ねてきた人たちの到達点が、バブルの一億総中流社会でした。

 多くの人がそれなりの豊かさを知り、物語の3人が分け合うかけそばに、貧しかった過去を重ね合わせて涙しました。

 バブルが弾け、次にやってきたのは中流社会が解体され、勝ち組と負け組に分かれていく分断社会でした。今年、橘玲さんの「上級国民/下級国民」(小学館新書)が話題になりました。「下級国民」はいくら頑張っても、豊かさのかけらを積み上げることで明るい未来を実現することが困難になったと分析した1冊です。

 江戸時代の身分制社会は、農民がいくら働いても決して武士にはなれない分断がありました。明治維新以降、身分制が廃され、努力や才能が報われる社会になったことが、この国の根底にある原動力でした。現代の分断は、そんな社会のダイナミズムを深刻に損いつつあります。

 さて、大晦日の蕎麦屋に、あの母子がやってきたのは10数年後でした。男の子は成長して若い医師と銀行員になり、3人は3杯のかけそばを注文します。

 貧しさが連鎖する現代に、「一杯のかけそば」はどんなリアリティーを持ち得るのでしょうか。30年前と現在では、物語が醸し出す意味は微妙に、しかし決定的に異なる気がします。

 借金を背負った母子家庭の子どもが医師と銀行員に育つストーリーに、リアリティーがあるのか。しかしこれが本物の「お伽噺」になっていいとは思えません。

 もちろん、昔の社会に帰るべきだとも思いません。要はバブル後、新しい社会と価値観の創出に、失敗し続けてきたことが残念だということになるのでしょう。その責任は当時からの現役世代ということになるのですから、自らの無力に頭を垂れるしかないのですが...。

 (何だかシリアスになってしまったww)

                   

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