ことばを食する

本たちとの、出会い、すれ違い、言葉との恋愛。つれづれなるまま記していきます

愛憎、矛盾を孕みながら 母と娘 〜「放蕩記」村山由佳

 エキセントリックで、性格や行動に歪みのある母に育てられた娘が、やがて大人になって母との関係にどう立ち向かい、新しい自分を作り出していくか。「放蕩記」(村山由佳、集英社文庫)は、ただその一点に向けて積み上げられた長編です。

 母と娘であれ、父と息子であれ、通り一遍の微笑ましい親子関係の枠内に、すべての感情を収めきれる人はまずいないと思います。子どもなりに、愛情と憎悪が入り交じる複雑な感情を抱えながら成長し、大人になってからは親との距離感や付き合い方を学びます。

 親の立場から見れば、子に対する愛情の向け方は難しく、試行錯誤の連続でしょう。しかし、愛情の向け方を間違えて、その誤りに気づきもしなかったら、子のほうは辛いですね。

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 作品は小説家として仕事に追われる主人公・夏帆の現在と、過去が交互に描かれます。母との関係を振り返ることは、子ども時代の自分を再構築していく作業でもあります。こうしたテーマですから、「楽しく一気読み」タイプの小説ではありません。描写の連続で成り立つのではなく、母に対する、自己に対する、恋人に対する長い分析と認識が積み上げられます。

 例えば女子校時代、同級生との女同士の性愛について、関係を細かく説明した後に一つの認識が置かれます。

 自分たちの恋愛をどれだけ豊かなものにできるかは、お互いの想像力と創造性にかかっている。世の賢しらな人びとは「映画みたいな恋なんてあるわけがない」と言うけれど、もとより、何の努力の作為もなしにドラマティックな恋愛ができるわけがない。

 こうした記述が多用されると、やがて息苦しくなって、どこかで息抜きがほしくなります。しかし、この作品はなかなかそれを許してくれません。

 ふと三島由紀夫の「仮面の告白」やプルーストの「失われた時を求めて」を思い出してみるのですが、過去を振り返るとは、つまり捕らえ直しの分析と再認識ですから、どうしてもこんな感じになってしまうのかな。

 「放蕩記」というタイトルは、男遊びにふける性愛の記録という単純な意味ではありません。終盤に少しだけそんな部分もあるとはいえ、これは母親から見た娘の考え方に「放蕩」という言葉を冠したのだと思います。

 やがて母は、認知症になって一方的に対決の土俵を去ります。そうなってしまったとき、対決の場に置き去りにされた娘はどう葛藤を解決すればいいのか。そこは作品でお読みください。