秋。ほんの半月ほど前の9月17日、義父の四十九日の法要と納骨のときは、まだ真夏の陽射しに焼かれる墓地で、汗を流して読経を聞いたのに、秋分を過ぎたころから一気に秋らしくなりました。異常気象の夏もようやく過ぎ去ったよう。
朝の陽射しの暖かさを、ありがたく思ったのは久しぶり。例年よりひと月遅い季節の変わり目。みなさま、どうかご自愛ください。
きょう昼前に、小学館の日本の歴史第16巻「豊かさへの渇望 一九五五年から現在」(荒川章二、2009年)を読了。第1巻の旧石器時代から数万年にわたる、この列島の歩みを見聞する時空の長旅から、現在に帰り着きました。
2007年から09年にかけて刊行されたこの「日本の歴史」は、全16巻と別巻1の構成で、各時代を専門にする歴史学者17人が執筆しています。今年5月下旬に第1巻を開き、楽しみながら読み進めてきました。ところが猛暑のさなか、第11巻の江戸末期、開国に向けた動乱の時代に入るころから、その後の明治、大正、昭和・平成までの近、現代史はがくんと読書のスピードが落ちました。
つまらなくなったのではありません。相変わらず面白く、興味深かったけれど、重くなった。心軽くスキップして、前に進めません。
全巻を通したテーマは「いのち」です。石器時代、縄文時代に人びとはどんな暮らしをし、どんないのちを全うしたのか。奈良や平安時代、戦国になるとそれがどうなったか。各時代の文明と文化の到達点、政治と社会・経済、国際情勢を描きながら人びとの「いのち」を浮き彫りにしていきます。
江戸時代まで、いわば物見遊山の観光気分で読めました。しかし明治以降はストレートに現在の自分の精神構造につながっていて、ときには読むのが辛いくらい。しかし読まずにはいられない。
あえて一つだけ例をあげるなら、明治以降の西欧への劣等感と対抗心、並行して東アジアにおける日本人の優越意識がいかに形成されたか。その過程での日韓関係の歩み。韓国を併合し植民地化した時代(1910、明治43年〜1945年の太平洋戦争終戦まで)のマイナスとプラスがあり、それがわれわれではなく、韓国に暮らす人びとに(在日韓国人も含め)どんな傷を残したかについて、改めて考えざるを得ません。
すると一方で、時代を遡りたくなります。縄文時代以降の稲作に代表される文明の窓口としての朝鮮半島。「古事記」「日本書紀」に記された倭国(日本)の半島への遠征軍出動。さらに半島の政乱で日本に亡命した帰化人や渡来人の、天皇家をはじめとした政治中枢集団への融合がありました。
「歴史認識」と言葉でいうのは簡単ですが、日韓それぞれの国に暮らす人に、どれほど正確な歴史認識があるのか。あるいは、断片的な事実に偏った認識に陥っていないか、自分を含め常に自省が必要だと思いました。
要は、こんな具合に立ち止まることが山ほどあって、長い猛暑の間、軽快なスピードで先に進めなくなったのです。
なんだか重くなったので、軽い話を一つ。
江戸の両国花火大会。8代将軍・吉宗の時代に飢饉と疫病による死者の慰霊を願って始まり、隅田川の川開きの名物行事になりました。江戸っ子が声を張り上げた「たまや〜」、「かぎや〜」は、花火師の屋号です。
その花火、当時は火薬が燃える赤い色しかありませんでした。アルミニウムやマグネシウムなど、金属粉を混ぜて白や青、その他を発色する花火技術がなかったからだそうです。へー、そうなんだ。こんな雑学も満載の16+1冊でした。