ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

日常生活の裂け目 現れるものは 〜「木曜日の子ども」重松清

 書店に行くと、新人や未読作家になかなか手を出せない自分がいて、理由は幾つかあります。がっかりするか、がっかりはしないまでも、「次の作品も」と思えない経験をたくさんし過ぎたから。とにかく何でもがつがつ読みたい、若々しいエネルギーを失ったという苦い自覚もあります。

 そうなると得てして、自分にとって「外れの少ない」作家の本ばかりを選んでしまいます。一方で夢中になれる未知の才能に出会いたい欲望は根強く生き残っているから、満たされない思い、欠乏感がまた募ることになって始末が悪い。

 「木曜日の子ども」(重松清、角川書店)は、いろいろな本を手にとってページをめくった末に、レジに持っていった「外れの少ない」作家の1冊でした。

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 大人に完璧な笑顔を見せる子どもが、実は陰湿ないじめを受けていたり。近所から家族円満の見本のように見えている家の内側で、凄まじい虐待や暴力が当たり前に続いていたり。そうした事例が多いとは思いませんが、まれにあるのは確かです。私自身、これまで仕事の中で、表の見え方から想像できない裏の事実に何度か出会ってきました。

 40過ぎまで独身を貫いてきた主人公の「私」は、バツ1で14歳の男の子をもつ同い年の香奈恵と結婚しました。子どもがいじめを受けている香奈恵の悩みを聞かされたことが、深い交際の始まりでした。結婚して3人家族になった「私」は、新興住宅地に中古の家を買って引っ越し、新しい生活をスタートさせます。

 環境を一新し、父親として家族を守ろうと意気込む「私」、明るさを取り戻す香奈恵、新しい父に完璧な笑顔を崩さない子ども。しかし、足元から砂が静かに崩れ出すように、「幸せな家族」の土台が揺らぎ始めます。7年前の中学校での9人無差別毒殺事件をキーに、前半の展開は読んでいて不気味な魅力にあふれています。

 毒殺ではありませんが、連想したのが1997年の神戸連続児童殺傷事件・酒鬼薔薇事件です。犯人は14歳の中学生だったことが衝撃でした。少年は逮捕されても、なぜ、という動機は私たちに突きつけられたまま解決していません。当時、どんな文学もそこまで生々しく迫れなかった闇、虚無を、現実世界の事件があらわにしたと感じたものです。そもそも「なぜ」という、大人の問いに意味があるのか。闇は、闇として受け入れるしかないのではないか。

 極めて異例ですが、その後彼の精神鑑定が公表され、まだ成熟しない性衝動と攻撃性による快楽殺人としました。しかし大人の、専門家たちの、必死なアプローチは間違いではないとしても、本当の中心に届いていなくて、逆に夥しい言葉に取り残された真ん中の闇が、シルエットになって浮かび上がった気がしたものです。

 同時に、後年社会に戻った彼による「絶歌」(元少年A、太田出版、2015年)もまた、自らの過去に対する時間というバイアスを考えて読むべきだと感じました。

 話を戻します。「木曜日の子ども」の後半は、社会に対峙する人の心の奥底の闇、虚無が物語を荒々しく突き動かします。冷静にみれば、やや展開に無理もありますが、「私」という一人称の視点に読者が巻き込まれていれば、一気に読み切ってしまうでしょう。

 読後、もう1作思い浮かべてしまったのが三島由紀夫の「午後の曳航」。こちらは13歳の少年が、未亡人である母の自慰をのぞき見し、母の愛人を殺して解剖する作品(古い記憶頼りなので細部曖昧)でした。

 14歳。大人ではないけれど、もう無邪気ではいられない子ども。「木曜日の子ども」はマザーグースからの引用です。