ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

浅田次郎 〜作家つれづれ・その6

 10年ほど前、浅田次郎さん、中村文則さんと食事をご一緒したことがあります。わたしが勤務していた会社と某企業が組み、作家の講演会を開きました。講師として話していただいたのがこの2人でした。

 講演会は盛況に終わり、関係者数人で夜の宴席を設けたのです。

 浅田さんは品格漂う和服で背筋が伸び、美味しそうに盃を傾ける様子は不動の人気作家、大家としての雰囲気満点。当時は日本ペンクラブ会長であり、宴席を持たせようとする心配りも感じました。

 一方で中村さんは、「土の中の子供」で芥川賞を取って2年か3年目だったころで、耳が隠れる程度の長髪に黒っぽいスーツ。最近の言葉で言えば、結構なイケメンでした。中村さんからは事前に、「『先生』という呼称は僕に使わないでください」と聞かされていました。

 わたしは浅田さんに「鉄道員 ぽっぽや」や「壬生義士伝」についていろいろ尋ねた記憶があります。ところが、詳しいことは忘れてしまいました^^;。そういえば、歴史小説家の◉は女好きのとんでもない奴だあ...という業界内の話題で、浅田さんと中村さんが盛り上がりました。

 ◉の部分はイニシャルで出てきて、ここでは伏せておきます。誰のことか、すぐにピンときたけれど。

 何を聞き、どんな会話をしたかほぼ覚えていないのに、浅田さんが無名時代を振り返った話だけは印象に残っています。要約すれば、こんな内容でした。

 ....小説が売れ始め、直木賞も取って一番うれしかったことは、家族が小説を書くことを「仕事」として認めてくれたこと。何しろそれまでは、いい歳の男が毎日部屋にこもって書き続けても、お金にならないのだから仕事として認めてもらえない。肩身が狭かったなあ...

 

 浅田さんは、多くの人が認める小説の達人。修行時代が目に浮かぶようでした。私は本に手を伸ばしたくない気分が続くときも、浅田作品には理屈抜きに面白さをもらえます。さて、

 

 ーーこと本田常次郎の人となりのうちには、善と悪とが不思議なくらいきちんと、まるで本棚に並んだ書物のように整理されているのだった。

 

 今読んでいる「天切り松 闇語り」の一節。天才詐欺師の「常兄ィ」の人物描写です。これ、「本田常次郎」を「小説」と置き換えれば、そのまま浅田作品のピカレスク小説全体に当てはまる作品評になると気づきました。

 人が生きる折々の身の振り方、善悪の整理のされ方が潔く、心地よい。

 そして「語り」の筆の冴え。大正時代を舞台にした「天切り松 闇語り」では江戸っ子の言葉と標準語を使い分け、主人公の人物像をくっきりと輪郭鮮やかにしています。

 この小説には出てきませんが(2巻後半のところまで)、浅田さんの短編にはときどき幽霊が登場します。たいていは読者の涙を誘う絶妙の役割を担っていて、「浅田作品と幽霊」というのも、実は以前から個人的に心惹かれるテーマです。長くなるのでそれは機会があればまた。

 戻り梅雨のこのごろ、今夜は久しぶりに飲みに出ます。まあ、後輩の愚痴に付き合いに行くのですが。