ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

赤トンボの季節 全集物は別巻が面白い? 〜「日本の詩歌」別巻 日本歌唱集

 夕やけ小やけの あかとんぼ

 負(お)われて見たのは いつの日か

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 ダイエットが気になり始めた数年前から、わたしの趣味の一つになったのが田舎道のウオーキングです。歩くのは数キロから10数キロまで、様々なマイコースがいつの間にかできました。そして車で走っていては分からなかった多くのものに、歩いて初めて気づきました。

 例えば身近なあちこちに、一体一体表情の違うお地蔵様が、こんなにもあったんだということ。たいていは、ガラスの牛乳瓶みたいなやつに季節の花が活けてあって、きっと近くの人がいつも気を配っているのでしょう。今日、そんなお地蔵様と一緒に見つけたのが赤トンボでした。

 歩きながらつい口ずさんだのは、冒頭の童謡です。

 帰宅してすっかり日も暮れ、手にしたのが「日本の詩歌」別巻 日本歌唱集(中央公論社 昭和54年新訂版)。「日本の詩歌」は明治以降の詩、翻訳詩、短歌や俳句なとを網羅した30巻の全集物ですが、おまけの31冊目が別巻で日本歌唱集。民謡、童謡、文部省唱歌、軍歌から流行歌まで収められています。

 便利なのは「歌い出し索引」というやつが巻末にあって、<夕やけ小やけの あかとんぼ>で探し、すぐに当該ページに行けることです。

 「赤蜻蛉」はちょうど100年前の大正10(1921)年の童謡でした。三木露風作詞、山田耕作作曲。<負(お)われて見たのは>とは、「ねえやに背負われて、幼いわたしが見たのは」の意味です。

 十五でねえやは 嫁に行き

 お里のたよりも 絶えはてた

 など、わずか2行の歌詞が4番。1曲あたり8小節で<五音音階を用いた出色の作品である>と解説されています。歌詞といいメロディーといい、秋らしい哀愁が漂っていいなあ。

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 この別巻、大正前期、大正中期など、時代ごとに細かく政治や社会背景にからめて当時の人々に愛された歌の解説(小論)が各章に付してあり、これがまた理解が深まって面白い。ちなみに同じ大正10年には、こんな歌がありました。

 揺籠(ゆりかご)の歌を カナリヤが歌うよ(北原白秋 草川信作作曲)

 ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む(葛原しげる 室崎琴月作曲)

 青い眼をした お人形は(野口雨情 本居長世作曲)

 赤い靴 はいてた 女の子(野口雨情 本居長世作曲)

 うーん、この年、野口雨情と本居長世コンビは「青」と「赤」の色シリーズを相次いでヒットさせたんですね。あっ、そもそも「赤蜻蛉」も赤だから、大正10年は色と縁の深い年だったのかな。そしてこの年、原敬首相が東京駅改札口で暗殺されました。

 この後、大正デモクラシーの空気は昭和に至り、軍部のファシズムに圧殺されていきます。

 先日の投稿で、わたしの机上の常駐本として「日本の歴史 別巻5」年表・地図を挙げました。全集物ってしばしば、本体より編集者の溢れる思いを受けとめた<おまけ=別巻>の方が面白かったりして。

 それにしても「日本の詩歌」別巻を拾い読みして思うのは、知らない間に記憶に染み付いている昔の歌がいかに多いことか。普段は意識しませんが、驚くほどです。それは自分の中に眠っている宝に、全く気づかずに過ごしているということなのかも。

 今日飛んでいた赤トンボくん、気づかせてくれてありがとう。

 *    * 

(「日本の詩歌」別巻 日本歌唱集 は編年体で構成されていますが、記された年号は必ずしも厳密なものではないようです。「赤蜻蛉」にしても、歌詞が作られて数年してから曲が付けられています。どちらを成立した年とするか、また一気に民衆に広まった時期が後年だった歌もあるはずで、そこは編集に当たって何を基準に編むか、難しいところですねー)