ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

文化を担った人々の熱い舞台裏 〜「神楽坂ホン書き旅館」黒川鍾信

 ひと昔前まで、脚本家や小説家はどんなところで、どんなふうにして原稿を書いたのでしょうか。「神楽坂ホン書き旅館」(黒川鍾信、NHK出版)を再読して、不覚にもところどころ涙しそうになりました。昭和の物書きたちと、彼らを支えた無名の人びとの息遣いが、温かくほろ苦く、胸に染み通ってくるからです。

 それにしても文章が伝えるこの静かな力は、いったい何なのだろう。読みながら不思議でした。

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 昭和50年代の東京で大学生活を送ったわたしにとって、地下鉄東西線の高田馬場、早稲田、神楽坂、飯田橋の間は、さまざまな思い出が散らばった土地です。当時のわたしは知る由もなかったのですが、神楽坂のとある路地を入ったところに旅館「和可菜」がありました。

 神楽坂は江戸情緒を感じさせる、どこか懐かしくてお洒落な街。名前の通り坂が多く、昔もたぶん今も、路地に入るとしっとりした空気が流れるヒューマンスケール(等身大の、人間的な=本書より)の街です。

 「和可菜」がありましたーと過去形で書いたのは、調べてみると本書が刊行された後の2015年に宿は閉じられたからです。和可菜は1954年に開業した、客室たった5部屋の小さな旅館。女将の和田敏子さんと、カズさんらごく少人数の従業員が60年にわたって切り盛りしていました。

 深作欣二、山田洋次、内館牧子、中上健次、伊集院静など、挙げればきりがないほどの人たちがこの宿で「勉強」をしました。ちなみに和可菜で「勉強」するとは、原稿を書くことです。

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 この宿の三種の神器は、1・電気スタンド、2・鉛筆削り、3・丸めた原稿用紙を放り投げるための特大のゴミ箱。実は4つ目もあって広辞苑。初版が昭和30年で、和可菜が備えたのは翌年からでした。

 しかし、お客さんたちは部屋で本当に「勉強」しているのか、はたまた飲んだくれているのか。かと思えば、帳場で原稿の仕上がりを待つ編集者の目をくらまして、宿から姿を消す野坂昭如...。映画や文学で時代の文化を担った強者たちの、人間臭くて熱い舞台裏が綴られています。

 この本の面白さは、そんな舞台裏を支えた女将・和田敏子さんの一代記でもあること。登場する作家たちは多士済々ですが、実はみんな脇役といえます。和田敏子さんは高峰三枝子のライバルだった人気女優・木暮美千代の妹。姉妹で収まった写真が一葉、収められています。見れば華やかな女優の姉を、和田さんの清楚な美しさが圧倒しているのです。

 

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 筆者の黒川さんは、和田敏子さんの甥で、英文学の教授。論文が主戦場と思えないほど、作品の構成がしっかりしてセンスを感じるのは、編集者に加えて初稿に野坂昭如が目を通したからでしょうか。「あとがき」には、編集者の指示で原稿用紙150枚、和田敏子さん本人の意向でさらに150枚、ばっさり原稿を削除したとも書いてあります。

 さて、このブログを立ち上げて1年になりました。地味でほとんど知られていない本だけれど、節目にはもう一度読んで書こうと決めていました。2003年の日本エッセイスト・クラブ賞受賞作で、新潮文庫にも入っていたはずですが、検索すると今は古本でしかヒットしません。

 さみしいけれど、どこかこの作品らしくもあり....。