1989年から2019年までの30年間、毎年大晦日に渋谷のスクランブル交差点で無作為にインタビューし、「今年一番印象的だった事件や出来事」について語ってもらう。インタビュアーは堂場さん本人が実名で登場します。こうして集めた約300人の記録から、年齢、性別がばらばらな100人をピックアップして年ごとに並べると、「平成」という時代が、市民目線で鮮やかに浮かび上がります。
1989年 嶋康夫(49歳 無職)
酔ってる? そりゃ酔っ払いたくもなりますよ。理由? 言いたくないね。....(以下略)
2011年 所真美(31歳 IT会社社員)
iPone 4sに買い替えたばかりです。便利ですよ。Siri、試しました?....(同)
こんな具合に100人のインタビュー記録が続くわけですが、そこから全体を貫く小説らしいストーリーが何か浮かび上がるわけではありません。あくまで個々の話だけが並びます。
ドーハの悲劇(サッカー)、ポケベル、政権交代などなど、大小様々な出来事がそれぞれの立場で語られ、読みながら「あー、そんななことがあったなあ」と何度も遠い目になりました。
さて、単にそういう本なら時代の記録としてとてもいい仕事で、拍手をしたくなります。「堂場さん、小説が上手いだけではなく、元は社会部系の新聞記者だから、ノンフィクションも視点がいいなあ」....と。
本編の前に、この本が生まれるきっかけが語られます。全国紙の新潟支局に勤務する事件記者だった若き堂場さんは、週刊誌の編集者になった友人と渋谷で飲んでいて「お前は田舎の話ばかりで視野が狭い」と言われます。それならと、堂場さんが言い返したのが、平成が終わるまで毎年大晦日にスクランブル交差点で取材することでした。
我ながら無茶だと思ったこの発言は、何故か速やかに俺の頭に染み付いた。
平成の時代が終わり、友人に宣言した堂場さんの毎年の取材もついに終わります。
ところが令和を目前にその友は膵臓がんでこの世を去りました。この本には友人への献辞があり、本編終了後に「編集部から」という短文が付されています。
堂場瞬一氏から受け取った原稿の扱いについて、編集部では侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を続けた。(中略)インタビューを生のまままとめただけの原稿を小説と呼ぶのは無理がある。だったらノンフィクションなのか? しかし「平成」だけがテーマのインタビュー集をノンフィクションと呼ぶのもふさわしくないのではないか、という意見が多数だった。
仮に、この記述を真に受けるなら、編集部の面々はアホです。これは誰にでもできるけれど、誰にもできない見事なノンフィクションの仕事です。そもそも純粋なインタビューをまとめたものなら、小説として無理があるどころか「小説」ではありえません。
結局、編集部の言い訳は次のような結論になります。
この本が小説なのかノンフィクションなのか、判断は読者に委ねられることになる。
な、何なのだこれは....。こんなおかしな「おことわり」が必要とは、実は本編にはかなりのフィクションが紛れ込んでいるということなのか?
混乱しながらめくった一番最後に、次の記述が。
「本書はフィクションです」
判断を読者に委ねると言った矢先にこの仕打ちは....。あの献辞の真偽まで考えてしまう。
この一文によって、時代を証言する本としての史料価値は当然ゼロになります。もとより「小説的な面白さ」はありません。面白い本なんだけどなあ!。だからこの稿を書くことにしました。
本の帯には「文学の新たな手法に挑む」とあるので、最初からそういう目で見ればいいのでしょうが.....。本編を構成するインタビューの真偽が当然ながら気になります。もしインタビューが、しっかりした事実(素材)として存在するなら、「文学」の枠に作り込もうとした試みは成功していると思えません。
村上春樹さんに「アンダーグラウンド」があるように、堂場さんのノンフィクション作品は「インタビューズ」、だったらよかったのに。残念。
これは編集方針の失敗なのか、単に真に受けすぎたわたしが馬鹿なのか、そこのところは永遠の謎ですww。まいったなあ。
後日・付記:冷静に振り返ってみると、偶然にしては出来すぎた再会や再会もどきのインタビューがあって、やはり作り物っぽいですね。それは読みながらちらりと感じてはいたのですが、取材というのはまれに、思いがけない展開に出会うことがあるのも確かなので、「へえ〜」で済ましていました。どちらにしろ、面白かったけれど後味のスッキリしない本だなあ。