中国地方の静かな山あいにある、寂れた温泉町。流れる一本の川に、人しか通れない石の橋が架かっています。町の子どもたちはみんな、その橋を渡って川向こうの小学校に通い、昔、花嫁はその橋を越えて町へ嫁いできました。橋は、過酷で、ときに華やかに見える外の世界へと通じる出口でもあります。
「かんかん橋を渡ったら」(あさのあつこ、角川書店)は、子ども、食堂の大将、ヌードダンサー、写真館のお婆ちゃん....など、小さな町で必死に生きる人たちを描いた6編の連作集です。
物語の縦糸になってゆるく全体を繋ぐのは、元高校野球のエースだった大将が営む、食堂「ののや」。ただし、最近やたら流行っているような、一品料理や酒のうんちくで読ませる作品ではありません。食べ物ではなく、驚き、悲しみ、喜び、恨み、愛。あさのさんの筆致は、さまざまな人の心のうごめきを言葉で織り上げ、寂れた温泉町を多彩な色で満たしていきます。
これまでのあさの作品一覧を眺めると、「バッテリー」に代表される少年・少女小説、「弥勒」シリーズをはじめとした時代物など、ジャンルの幅広さに驚きます。中からあえて1冊選べと言われたら、わたしは少し迷ってから、どちらかというと目立たないこの作品「かんかん橋を渡ったら」を推します。
あさのさんの最大の特徴は、反復と畳かけの語り口です。例えば
菊はさらに歯を食いしばった。
ぎりぎりぎり。
ぎりぎりぎり。
奥歯が軋る。その音が体内に響く。
ぎりぎりぎり。
ぎりぎりぎり。
お母ちゃん。
こうした語り口は時代物でも多用されます。ファンにとってはそこが魅力なのかもしれませんが、わたしは白けてしまうことがしばしばあります。「弥勒」シリーズなど、もう少しだけ「語り」の力を抜いて書いてあったらいいのに、と思いながら、それでも読んでしまう読者です。
「かんかん橋を渡ったら」は、時代小説ではありませんが、前半の3編に限っては、いつものあさのワールド・語り口です。改めて書きますが、それでも読まされてしまう。ところが4編目以降は、その「くどさ」が薄まって、極めて読みやすく魅力的なのです。扱う題材のせいなのか何なのか、考えてもはっきり分かりませんが。
無口で温かい男の死と、中学1年の娘の、未来への道筋を暗示して作品は幕を閉じます。軽い小説ではありません。印象がずしりと残る作品です。
続編「かんかん橋の向こう側」もあ出ています。