ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

かけがえのなさとは 物語に癒やされて 〜「ツバキ文具店」小川糸

 はたして小説に「癒やし系」というジャンルがあるのかどうか分かりませんが、「ツバキ文具店」(小川糸、幻冬舎)はそんな1冊でした。いい作品には派手な道具立てやストーリー、大げさな悲劇も喜劇も必要ないということを伝えてくれる小説です。興奮した、刺激的、あるいは涙したではなくて、ただ「沁みた」が一番適切かな。

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 代書屋という職業が、いまもあるのかどうか知りません。鎌倉にある小学校の近く、昔からの文具店を一人で営んでいるのが雨宮鳩子。まだ20代の女性です。文具だけでなく、看板は掲げていませんが、先代の祖母を引き継いで「代書」を引き受けています。

 依頼人に代わって、さまざまの手紙や通知、借金の断り状なんてのも引き受けます。代筆ではなく「代書」なので、依頼人の心を汲んだ文章づくりも含めての仕事です。さまざまな「普通の人たち」の人間模様が、代書を通じて浮かび上がります。

 その人間模様を作品のメーンディッシュにすると単なる人情話ですが、それ以上に鳩子という女性の佇まい、楽しくて個性的な周囲の人びと、そして鎌倉という土地の魅力が、和紙に沁みる水のように広がります。

 喜怒哀楽の連続が当たり前の日常というもの。難しい仕事にやや落ち込み気味の鳩子の1日が、また家の雑巾がけから始まりました。窓から差し込む朝日。

 まぶしくて、目まいがしそうになる。宙を舞うホコリまでもが美しかった。

 当たり前に始まる生活の1コマを、かけがえのない美しさとして、すっと読者に差し出す見事さ。これは物欲や金銭欲その他にとらわれていると、見えない美しさですね。きっと。

 代書屋として、便りに込める思い。手紙をしたためるための道具である筆、万年筆、ガラスペン、墨、インク、封をする蜂蜜や切手など、文具に対するこだわり。SNSとメールの時代だからよけい新鮮です。

 そんな便りを出してみたい。一方、わたしが受け取る立場だったら、便りに込められたこだわりのどこまで分かるか、受け止められるか自信はありません。しかし、大きな「思い」の中には、受け取られることなく空しく消える部分がたくさんあるからこそ、人とひとのつながりはかけがえがないのかもしれません。

 続編「キラキラ共和国」もあります。