ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

病院の待合室で笑みに出会う 〜「女の咲顔」柳田國男

 春の連休を前に、そろそろ持病の薬が切れそうで、いつもの総合病院へ行きました。呼ばれるまでの待ち時間を持て余さないよう、毎回本を持参します。今回は「日本の名随筆22『笑』」(作品社、桂米朝編。1984年刊)でした。

 明治以降に発表された随筆から、<笑>をテーマにした31編を選んだ1冊。空き時間にときどき拾い読みしていて、中ほどに栞が挟んであります。総合受付から診療科の受付に進んで受診票を出し、待合スペースに並ぶ長椅子の空きを探して腰掛けました。

 栞のページを開くと、民俗学の大家、柳田國男が書いた「女の咲顔」。「咲顔」の2文字に戸惑いましたが、どうやら「えがお」と読ませ、つぼみが綻ぶさまに重ねて、柳田は笑顔を咲顔と書いたようです。

 1943年に書かれた随筆なので、言葉遣いや漢字にやや読みづらさを覚えながら、しかしすぐ気にならなくなりました。柳田によると古来、日本のあちこちに子供が産まれると碗に飯を盛り上げ、赤ん坊の前に据える風習がありました。

 「生涯食べ物に困らないよう、飢えることがないようにという願いかな」とわたしは想像しました。読み進めれば、それが全く的外れではないにしろ、高盛り飯はまず「産の神様に御供え申すもの」でした。

 そして産声を上げたばかりの赤ん坊は、神と人の境目がはっきりしていない「神人一体」なのだとも述べてあります。こうした民俗学の分析、わたしは面白くて好きなんです。

 赤ん坊が女の子であれば、高く盛った飯の両側を指先や箸先で突いて、二つの穴をあける風習が四国や九州の田舎にあったそうです。赤児が成長したとき、両の頬にえくぼができて愛敬よしに育つようにーという親の思いを込めたのです。

 えくぼはときに愛の誘因になり、あるいは憎しみの防御になります。どうして親は<女の赤児にだけ>えくぼを願ったのかという問いから、社会と男女の在り方を語るのですが、これは現代においても古びていない内容でした。

 さらに中国や西洋と比較しつつ、日本人における「笑い」の分析に進みます。声を出さない「笑み」と、声を上げる「笑い」の使い分け。背後にある心理の繊細な違いや、儒教を基盤とした道徳観が染み込んだ日本人の心の土壌....。

 

 「**さーん、**さーん」

 突然、わたしの名前が耳に飛び込んできました。

 最近の病院は受付番号で患者を呼び出し、名前を呼ぶことはありません。何度受付番号を連呼しても反応がない場合に限り、名前を呼ぶことがあります。どうやら本に気を取られて、わたしは呼び出しに気づいていなかったようです。

 とっさに返事をして、「面倒かけたかな...」と申し訳なく思いながら、本をしまい、手荷物をまとめて立ち上がりました。見れば、若い看護師さんは優しい笑みを浮かべて迎えてくれていました。