ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ひな祭り幻想 妖しくあはれな 〜「雛の宿」三島由紀夫

 昨日は桃の節句でした。わが家のひな飾りの持ち主は、大学進学とともに家を出ました。以来20年余り、この時期に帰省することはないけれど、うちでは年中行事のように2月になるとおひな様を飾ります。

 

 「雛の宿」という三島由紀夫の短編を思い出しました。確か3月3日の妖しい出来事を描いた佳品だった。節目の日には何かそれらしいことをしたくても、日常に特別な変化があるはずもなく、ふと思い浮かんだのが「雛の宿」でした。今年の桃の節句は、短い物語を読むとするか。

 三島が若いころの作品だったと思うから、全集の前半に収録されているはず。本棚からそれらしき何冊かを取り出しました。三島の全集は各巻の函に収録作品が書いてあるのが便利で、いちいち函から出して目次を開く必要がありません。「雛の宿」は35巻中、7巻目にありました。

 

 こいつは少々、童話めいた話でもあるし、おままごとじみた物語でもある。

 

 第7巻の後半に置いてある短編は、そんな書き出しで始まります。

 大学の進級試験を無事に終えた「僕」は、解放された気分で銀座のぶら歩きを楽しんでいました。店の飾り窓に桃の花と雛壇を見つけ、初めて今日はひな祭りだったと気づきます。家では昨年の夏に妹が死に、両親は雛道具を床の間に飾る気力を無くしていたのでした。

 暇つぶしに入ったパチンコ屋で、「僕」はセーラー服の少女を見かけました。

 

 「おや、死んだ妹だ」

 とその瞬間、僕は思った。

 この印象は不思議だった。つくづく見ると、少女はそれほど妹に似ていなかった。

 

 言葉を交わし、街に出てどこに向かうでもなく一緒に歩くと、少女は「僕」の腕にぶら下がってきます。それがあまりにも自然で、さすがに「僕」は訝ります。この子はよほど無邪気なのか、それとも子供らしく見せかけた娼婦なのか...。

 少女は「僕」にこんな話をします。少女の家は母一人子一人で、ひな祭りには古いお雛様を飾って白酒を飲む。今朝、母から「お前は本当にかわいい女雛だけど、男雛がいない」と言われた。

 

 それで私、こう言ったの、

 「いいわ、私、男雛を探してくるから」って。

 「そうだね。探しておいで。そうしなくちゃお雛祭ができないもの」

 

 そうして銀座に出てきたのだという。誘われるまま「僕」は少女と電車に揺られ、武蔵小金井にある家を訪ねました。駅を出て歩けば、今と違って当時は夜になれば暗がりに田畑が広がる田舎です。 たどり着いた一軒の家。

 

 「よくいらっしゃいました」

 

 飾り付けられた雛壇の前で「僕」はなんとも不思議な、しかし完璧な歓待を受けます。夜が更け、子供のような少女は眠くなったと部屋に下がってしまい、「僕」は暇乞いをするのですが母親が帰してくれません。

 あきらめて一夜お世話になることにし、案内された部屋に入るともう布団が敷いてありました。蝋燭の灯の中、お下げ髪の少女が掛け布団の下で笑っていて「僕」はぎょっとします。

 少女は黙って布団を持ち上げ、「僕」に入るよううながします。少女は真裸でした。

 

 翌朝、武蔵小金井の駅まで少女は「僕」を送って付いてきました。改札口の別れ際に、少女は言います。

 

 「いってらっしゃいませ」

 

 「いってらっしゃい」は「おかえりなさい」と対になる言葉です。「僕」は、二度と雛の宿を訪れませんでした。あまりに不可解で恐ろしく、しかし男にとってはこれ以上はない夜でもありました。

 季節は 夏になりました。「僕」は「現実的な女」と恋愛をし、しかしその女に捨てられます。そのとき、「僕」は耐え難い衝動に襲われ、電車で武蔵小金井の駅を目指すのでした。...

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 人の記憶はあやふやなものです。

 わたしはこの短編の終わり、「僕」がいくら探しても、ついに雛の宿にたどり着けなかったと記憶していました。初読はずいぶん昔です。ところが再読すると、結末は全く異なるではありませんか。

 人間というもの、自分に都合よく記憶を改ざんしてしまうのだと改めて噛み締めました。無意識下にどんな改ざんを行なったかで、人の器まで知れてしまう。そんな事実に直面して、ちょっと心に苦味が広がりました。自分は安易で小さい。

 作品の本当のエンディングがどうなっているか、ここでは明かしません。妖しくも哀れ。さすが三島です。

 わたしが知る限り文庫には作品が収録されていないはず(調べていない。確信はなし)ですが、怪奇小説アンソロジーのような類の本に入っているかもしれません。手っ取り早いのは、図書館で三島由紀夫全集(新潮社)の第7巻を閲覧かな。ゆっくりでも、1時間かからず読み終わるはずです。