ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

写実考 〜くーのブログ個展・その2

 新型コロナが猛威をふるうころ、家にこもって絵を描き始めました。2022年12月に「くーのブログ個展」として、それまで描いた油彩とデッサンをこのブログにポストしました。今回は3年余りを経た「その2」です。

 わたしは20代まで趣味で油彩を描いていました。たまたま地元の小さな公募展で入賞もしたけれど、仕事が忙しくなって中断。絵より、新聞記者としての仕事を優先することは自然な流れで、絵に特別な未練もありませんでした。

 仕事をリタイア後、絵を再開しても、公募展に出品して入選や入賞に一喜一憂する意欲はもうありません。客観的な評価、批評を経て自作を鍛える機会を放棄しているわけですが、ひと言で表せば

 面倒くさい。

 自分が絵で目指したい先は見えているし、入賞して狭い仲間内の世界で認知されたいとも思いません。まあ、公募展は大作が必要で、大作を幾つも描くなんてできないし。100や200号の大作を量産することは、わたしにとっては仰ぎ見ることで、とうてい無理、いや不可能です。

 要は、描き続けることさえできればいいのです。わたしの技量で、できたことに対する歓喜(10%くらい)と、できないことへの「超がっかり」(90%)を繰り返しながら。

 抽象や半具象の表現がきらいではないのに、いざ自分がとなったとき、絵はがちがちの写実でした。目の前の描く対象(モチーフ)のかたちや色を崩すことが、逃げることに思えてしまったからです。

 なにであれ、目の前にただ在るというだけですごい。その存在感を絵でつかみたいと、生意気にも思っているのです。

 それでは最新作から。

 

 「西陽」 F4木製パネル。混合技法(ジェッソ、鉛筆、透明水彩、油彩)

 

 一昨年春から風景の大作に取り掛かっています。現時点で今後まだ2、3年かかりそうで、片手間の息抜きがしたくなり、昨年春に並行してサクラの小品を描き始めました。

 わが家を襲った春の嵐の翌朝、折れたサクラの枝先が庭に落ちていました。拾い上げ、台所にあった空き瓶に挿しました。夕方、花に窓から西日が差し込んでいて、その点景にふと目を奪われ...。

 デッサンした鉛筆のタッチを主役にすれば完成まで時間はかからないだろう...と楽観していたら(なにしろ息抜きなんだから!)仕上がったのはつい先日。片手間のはずが、額装まで年を跨いで10か月でした。

 描き初めはこんな具合。モチーフ周辺は汚れないようマスキングしています。

  

 

 サクラの前に描いたのは昨年の早春にかけて、赤と白のサザンカでした。これも雪に埋もれたうちの庭に咲いた花2輪。

 「山茶花」サムホールの紙ボード×2。ジェッソ、油彩

 部分

 描き始め。1層目の下塗り

 

 次は手のデッサンをベースに、洋書のページを配したコラージュ。スマホであれ、紙であれ、人はいつも言葉でなにかを伝えたい。

 「伝言」 コラージュ。紙に鉛筆、洋書

 右下に貼ったのは学生時代に高田馬場の洋書ビブロスで買った、仏ガリマール社刊のペーパーバック「マラルメ詩集」の中から、言葉をテーマにした詩のページです。昔の本がまさかこんなふうに再利用できるとは。

 切り離したページの周囲をライターで燃やし、ふうふう息を吹きかけて消しながら焼け焦げを作りました。どんな形態と焦げが残るかは、偶然と肺活量に?任せるしかありませんでした。

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 3年余り前のブログ個展では、鳥の巣の絵を制作半ばの状態で載せていました。完成してこうなりました。

「百舌鳥」 F10、キャンバス。油彩

 

 まずスケッチブックに鉛筆でざっくりエスキース(試し描き)。次はいよいよキャンバスに描き始めたころ。完成まで2年以上かかり、やれやれでした。筆の遅さに、いつもわれながらうんざりします。

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 ここからはエピローグの近況報告。絵を描く部屋の様子です。かつては子供部屋でした。描き続けている風景と、右の小さいのは息抜きのトウモロコシの絵。どちらも道半ばで、完成まであとどれだけかなあ。

 わたしが絵のモチーフにするのは、基本的に身の周りにあるか出会うかした日常の一部です。これを描こうと決めて対峙すると、いろいろ見えてきます。花1輪にしても、見ているつもりで、いかになにも見えていなかったか、一筆ごとに理解を深める積み重ねが<写実>の面白さ。

 それってなんだか、ただそこに「在る」ことの、地中の根っこまで下りていくような不思議な感覚なのです。

 さてブログ個展その1も、リンク貼っておきます。

www.whitepapers.blog