目の前に、珍しい食べ物があるとしましょう。実際はドイツの小説家、F・カフカの「変身」(新潮文庫)という作品なんですけど。有名だし美味しそうなので、口に入れます。しかし、その味をなんと表現すればいいのか、皆目分からない。
もしかするとこれ、とびっきり不味い?。それでも咀嚼する口の中で、その食べ物は口の中にあることを主張し続けます。読了、ではなく無理やり飲み込んでも、今度は胃の中で消化されることなく存在感を発し続けるのです。
これもまた、文学史上の名作の一つの在り方なのでしょう。

この小説、力ずくで解釈すればいかようにもできます。無限の解釈を許す代わりに、どれもが正解で不正解みたいな。ただただ、個としてある人間の絶望感、あるいは閉塞感だけが伝わってきて。
第一次大戦後に発表された、短い小説です。ある日、家の自分の部屋で目が覚めたら、得体の知れない虫になっていた。そこから苦悩が始まるのですが、本人も家族も、人が突然虫になってしまうという事態を、だれもが疑うことなく受け入れています。
不可解を、自明のこととして進行する不思議。それは、人間の常識を破壊しようとした、シュールリアリズムと同じなのかもしれません。あるいは第二次大戦後の実存主義や、わたしが偏愛するベケットのような不条理文学や劇を先取りしたようでもあります。
ついこんな講釈を垂れ流してしまいましたが、それはこの小説に少しも刺さっていない気がします。最初に書いたように、あらゆる解釈を許すとは、あらゆる解釈を拒絶しているからです。
まいったなあ。一つだけ真実を述べるなら、わたしはこの変な味の小説を咀嚼しなが、吐き出すことが「できなかった」。やはり、それは...
まいったなあ。
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