初めて足を踏み入れた小さな町の図書館でした。左にカウンターがあり、奥に広がる閲覧室の手前、テーブルにリサイクル本が並んでいることに気づきました。リサイクル本は、在庫処分の廃棄本。「ほしい本があれば自由にお持ち帰りください」という趣旨です。
2冊、いただくことにしました。モジリアーニなど20世紀前半にモンパルナスに集った、エコール・ド・パリの画家たちの画集。そして「朝の歌 中原中也傳」(大岡昇平、角川書店、昭和33年)です。わたしはその町の住民ではないので、ちょっと申し訳なく思いながら。

「朝の歌」はサブタイトル通り、詩人・中原中也の評伝です。単なる評伝と違うのは、筆者の大岡昇平が中也の友人であったこと。大岡だから書けた、中也の素顔と時代が浮かび上がります。
詩人として活動した大正の終わりから没した昭和12年まで、中也の交友範囲は決して広くありませんでした。その中に極めて重要な一人の女と、二人の男が登場します。
まず京都時代の中也が17歳で同棲した、長谷川泰子。彼女は女優志願で中也より3歳年上でした。
富永太郎。中也と泰子が暮らす部屋を毎日のように訪ね、尽きることなく詩の話をしました。富永は間もなく結核を患い、24歳で夭逝しました。個人的ながら、わたしは若いころ、富永の散文詩「秋の悲嘆」が胸に響きました。冒頭だけ書き写してみます。
私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去った。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。 ...
(富永太郎詩集、思潮社現代詩文庫)
そして小林秀雄。後に批評の大家として名を成した小林は、中也と出会った当初はまだ小説を書いていました。彼は泰子に惚れます。
中也と泰子が上京したのは大正14年。この年の11月、彼女は中也をすてて小林のもとへ走りました。
ところが3年後、今度は小林が泰子から逃れました。このころ神経を病んでいた泰子が、喧嘩の末に「出ていけ」と言い、小林は出て帰らなかったのです。大岡は、小林からこのときのことを聴き取っています。
「小林は家を出る時、あゝ、自分はこの家へはこれっきり帰って来ないと思ったそうある。東中野から電車の乗ると、終点は東京駅である。一中の同級生に会ったら二十円貸してくれた。奈良行の切符を買ひ、そのまゝ夜行に乗った」
この破局は、中也に期待を抱かせました。泰子が再び、自分の元に戻ってくると思ったのです。しかし願いは叶いませんでした。
「とにかく彼女に対して、中原ほど献身的だった人間はゐない。(中略)泰子が産んだ男の子の名附親になり(中略)新しい亭主とも友人で、喧嘩しなかった」
中也の秀れた作品の多くは、泰子の喪失と報われない苦悩を背景に生まれました。
大岡は「傲慢な詩人が、世の中にどうにもならぬことがあるのを知ったのは、泰子を通じてである」と書いています。また
「人を愛しすぎるのは不幸のもとである。『己の如く隣人を愛せ』といふ言葉は、逆説を弄すれば、自分以上に人を愛してはいけないといふことで、報いられないなら渇きを残す。愛と渇きの悪い循環は多分一生中原を離れないだろう」
それにしても、長谷川泰子とはどんな女性だったのか。気になります。
「小林と中原の青春に重大な影響を及ぼしたこの女性について、私自身の意見を記すべき場所かもしれない。随分長い交際だが正直のところ、私には何の感想もないのである。(中略)せいぜい彼女が実に気の好い人で、普通の女並に随分俗なところもあったが、悪いことは決して出来ない人だったと保證出来るぐらゐのものである」
大岡には響かなかったようですが、泰子は若く美しく、彼女を崇拝する男が他にもいました。もし大岡まで泰子に惹かれたら、もっとごちゃごちゃになりましたね。
この評伝が書かれた時点では、小林も泰子も存命で大岡と交流は続いていました。ただ小林は、彼女について口が重かったそうです。
中也の詩、手紙、ノートを引用し、解読し、実生活に照らし合わせて実像に迫ろうとした評伝です。結果的にそれが、登場するさまざまな若者たちの100年前の青春群像にもなっています。そして大岡は「同じ時代を生きた自らの青春を検討したい思いがあった」と別の本に記しています。
中原中也という詩人は、誰にも愛される人ではなかったようです。傲慢で自信家で、年長の文学仲間にも臆せず「魂の美しさと、邪悪さが同居していた」(大岡)。泰子以外のことで小林が絶交を言い渡したり、大岡らと大喧嘩したこともありました。
昭和12年10月、中也30歳で没。
太平洋戦争が始まり、大岡昇平は招集されて南方へ行きました。慣れない銃を担がされて、絶望的な戦局の中に送り込まれたのです。戦場でふと思い浮かんだのが、亡き中也の詩句だったと言います。生死の堺に立ついま、なぜ愛憎深い旧友の詩なのか。
戦後、復員した大岡は戦争体験を基に、極限状態に置かれた人間を描いた小説「野火」で読売文学賞を得るなど、作家として地位を確立しました。かたや一部の人のみが知る存在だった中也を、寄稿や評伝、中也全集の編集を通して世に紹介。中也は多くの人が知る詩人になりました。
* *(以下、補遺)
長谷川泰子、中原中也、小林秀雄の三角関係は今年、「ゆきてかへらぬ」として映画になりました。主役は泰子で、広瀬すずさんが演じました。原作は長谷川泰子の自伝「中原中也との愛 ゆきてかへらぬ」(角川ソフィア文庫)です。

またこの三人は、わたしにガラ、エリュアール、ダリの関係を連想させます。詩人・エリュアールの恋人だった少女のガラは、画家サルバドール・ダリのところに去って妻になりました。
泰子の喪失が中也の詩の源泉になったように、ガラの喪失はエリュアールに、美しい愛の詩を書かせました。
これ以上なにも見ないようにぼくは目を閉じた、
ぼくは目を閉じた すると涙が出た
もうおまえを見ないのだと思って。
(エリュアール「愛すなわち詩」部分 安東次男訳)
* *
「朝の歌 中原中也傳」は絶版になったあと、角川文庫「中原中也」(大岡昇平)に再録されました。黄ばんだ文庫本が部屋にありますが、その文庫も今は絶版のようです。
もし興味があれば、どちらもネットの古本検索で入手できます。文庫版は「朝の歌」に加え、大岡が中原について書いた全原稿を収めてあるので、文庫の方がいいかもしれません。
秋の日、ふと思い立ち、富山市から北アルプスの麓まで延びる私鉄の、とある駅に行ってきました。ふだんは縁のない路線です。鉄道会社でなく町が駅を整備したことで話題になったことがありました。
「知らないのはちょっと悔しいし、暇だから見てこようか」と思ってしまうほど、のどかに澄み渡る朝だったのです。行ってみれば、地元の町が整備した複合施設は町立図書館やスープカレーのお店が入居し、一階に赤字路線の改札とプラットホームがくっ付いていました。廃線にならないよう、利用者確保に地方はどこも必死です。
昼はスープカレーを食べ、図書館をのぞいてこのリサイクル本を見つけたのでした。
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