「武士」という言葉から、なにを連想するでしょうか。
合戦、切腹、武士道、男...。「武士は食わねど高楊枝」「武士の商法」など。改めて考えてみれば、いろんなイメージが浮かんで、模糊としています。小説の主役になる武士も、戦国の覇者から市井の剣客、江戸の貧乏浪人まで多彩。ちょっと歴史に沿って整理してみました。
古代にあっては豪族、その後は貴族社会における戦闘部門が武士のルーツです。彼らは主人である貴族のために働きました。
貴族社会の疲弊とともに、この構図を破壊したのが平清盛。その平家を滅ぼした源頼朝と鎌倉幕府に至って、武士階級が初めてこの国に覇を唱えました。戦闘部門から出発した階層が、内政や外交を抱合した権力を手にしたわけです。
もっとも、鎌倉時代はまだ天皇を中心にした京の貴族社会も力を有していて、二重権力構造だったようですけど。とにもかくにも、武士または武家は、ここから歴史の主役に躍り出ました。
やがて一時的に後醍醐天皇が覇権を奪回する建武の新政を経て、再び武家の足利尊氏による室町時代に移り、さらに戦国時代になります。
同時代のヨーロッパに目を転じると、コロンブスがアメリカ大陸に到達する前後。イタリアではミラノ、フレンツェなど都市が独立した権力を握って併存して争い、ルネサンス文化が花咲きました。向こうには「騎士道」なんて言葉もありましたね。
17世紀になって日本では、豊臣政権が滅んで江戸時代が始まります。戦闘のプロだった武士階級は以降、今で言えば公務員のような行政官になったわけです。江戸幕府は武家の矜持を巧妙に利用し、武士たちを忠義な行政官に変えていきました。実力のない上司(主君)に部下が取って代わる「下剋上」なんて、もってのほかです。つまり
江戸時代の武士=宮仕えの公務員
戦国時代の武士=戦闘のプロとしての自営業者
こうして概観するだけで、武士といっても時代によって実像はずいぶん異なることが分かります。
「戦国武将の死生観 なぜ切腹するのか」(フレデリック・クレインス、幻冬舎新書)は、武士の実像に光を当てた好著です。
著者はベルギーに生まれた日本文化の教授で、2024年にエミー賞を受けたアメリカのドラマ「SHOGUN 将軍」の時代考証を担当しました。現代日本人は、江戸時代の武士像というフィルターを通して戦国を見るため、戦国武将の実像が見えていないと指摘し、史料を踏まえた解釈が展開されます。

身内より、えてして外部の目が事の本質をついていることは珍しくありません。切腹という行為が持つ意味の変化、信仰と宗教について、主従関係と忠義のとらえ方などクールなアプローチに新鮮さがありました。
江戸時代と対比した戦国武将に焦点を当てていることから、例えば土地の安堵を重視した鎌倉時代の武士はまた異なると思いますし、従来の武士論と重なる部分も少なくありませんが、欧米人の視点という部分で面白い1冊でした。
amazon
