レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロを代表格に、数々の天才や万能人を生み出したルネサンスとはなにだったのか。「イタリア・ルネサンス 古典復興の萌芽から終焉まで」(池上英洋、創元社)はその疑問に対し、明確な道筋をつけて読者を案内し、答えに導いてくれます。
美術史の本は専門知識を専門家が書くので、素人には読みにくかったり、退屈だったりになりがちなのですが、これはすらすら読ませるところがすごい。いや、すらすら読んでしまうと、わたしの頭では読み終えたはなから忘れるに違いなく、それが残念なので、10日ほど腰を据えてじっくりページをめくりました。

仮に、たわわに実った果実が美術や文学作品だったとします。個々の果実を論じ、味の違いや共通点を探し、体系を構築するのはよくある手法です。しかし、それだけでは美術史として片手落ちです。
見事に豊作になった果実は、どんな木々に実ったのか、木が根を張ったのはどんな土壌だったのか。基盤を理解できれば、果実も見え方が違ってくるでしょう。
だからこの本、第1章「中世イタリアの社会とその変質」、第2章「ルネサンス中核都市の形成」と始まります。なんだか味気ない世界史の一部みたいですが、不思議に飽きません。ルネサンスの成立に必要な要素だけを抽出して組み立ててあるからです。
やがて各都市の多彩な芸術家、文学者、哲学者たちと作品がピックアップされ、歴史の流れの中に置いて、紹介されます。最終章までの全体を俯瞰して要約するのは、わたしの能力では不可能です。無理してごく一部だけを「ざっくり」やると...。
<富と宗教のないところに芸術は育たない>
当たり前で、発注者であるパトロンがいて初めて作品は生まれます。中世の美術作品の大多数がキリスト教の宗教絵画や装飾なのは、教会が発注者だったから。
やがて地中海交易などで膨大な富を得た権力者が生まれると、教会に加えて彼らも発注者に加わりました。作品のテーマにはキリスト教のほかギリシャ神話の神々が登場してきます。
ビーナスなどの神々に見立てることで、絵は堂々と裸婦を描くことが可能になりました。キリストやマリアも荘厳な姿でなく、人間的な優しさや弱さを持つ親しみやすい表情を浮かべるようになりました。
ただ、多神教であるギリシャ神話の世界を、一神教のキリスト教社会にいかに融和させるか、作家たちは頭を悩ませました。作品を例にこの過程を解説した部分など、面白かったな。
<大航海時代の到来と宗教改革がルネサンスを終わらせた>
大航海時代の到来で物流ルートが変わると、地中海世界の海運で富を得てきたイタリアの没落が始まりました。
さらに、宗教改革で旧来からのカトリックとプロテスタントに分裂。これまで教会を美術品で華麗に飾ってきたカトリックが打撃を受けました。美術の発注者として、以前のような力を失った。
ちなみに、カトリックは新たな信者を獲得するため、ヨーロッパの外へ布教することに活路を求めました。だから日本にまで、フランシスコ・ザビエルがやってきたのです。ルネサンス終焉を告げた社会変動の波が、はるばる戦国時代の日本にまで打ち寄せたわけで、こんな大きな歴史の因果関係の抽出、わたしは好きなんです。
もちろん個々の作家、作品に理解を深める解説は満載ですが、主役はあくまでルネサンスという「時代」で、個人的には名著だと思いました。
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