ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

より健やかな末期のために 〜「私はがんで死にたい」小野寺時夫

 「死ぬなら、がんで死にたいんだよ」

 と、いきなり知人に言われたら、あなたはどう思うでしょう。「縁起でもない」とか「がんはいやだ」とか、とっさに拒絶感を抱く人は、少なくないのではないでしょうか。

 厚労省の統計で日本人の死因の1位はがんであり、2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死にます。死と密接に結び付いたがんという病気が、怖いのは当然だと思います。

 

 いつの頃からか、「終活」という言葉が定着しました。死後に家族や親族に迷惑をかけないよう、身辺整理をし、記録や遺言を残しておくことです。とてもいいことだと思うけれど、

 心の「終活」も同じように進んでいるでしょうか?。

 がんと聞いて拒絶反応があるとすれば、もしかすると心の「終活」は進んでいないのかも。心の「終活」が不十分だと、死ぬ前に嘆いて当たり散らしたり、鬱になったり、最期の大切な日々を健やかに過ごせないと推察します。少なくともわたしは、最期は健やかに過ごして、自然に還りたいと願っています。

 「私はがんで死にたい」(小野寺時夫、幻冬舎新書)というタイトルを書店で見たとき、「挑発的だなあ」と思いました。しかし、この本の内容は挑発の正反対にあります。

 がんになったとき、また運悪く完治が望めなくなったとき、よりよく生きるための指南書です。最後までよりよく生きることができたゴールに、安らかな死が待っていてくれるのではないでしょうか。そのための心の準備が、わたしたちにできているか。

 

 著者の小野寺さんはがん拠点病院で活躍した消化器外科医。その後ホスピス医として多くのがん患者を看取りました。

 「高度進行がんになったら、手術は受けません」(第1章)「抗がん剤治療も受けません」(第2章)「体力のある間に、自分のやりたいことをします」(第3章)など、全10章にわたって、より良い死を迎えるための(=最期までよりよく生きるための)ノーハウが、医師としての豊富な実例とともに紹介してあります。

 小野寺さんは手術や抗がん剤治療を、一切否定するわけではありません。客観的に延命効果が薄い段階での、苦痛を伴う積極治療に警鐘を鳴らします。あくまで「わたしなら、そうした段階での治療は拒絶します」という書き方です。

 とても納得できます。そして、難しくもある。苦痛はいやだけれど、たとえ0.1パーセントでも希望があるなら、副作用に苦しんでも積極的治療に賭けたい...という心情も理解できます。その結果、最期の安らぎを得ることなく死ぬことになっても、それも一人の人間の生き様だったのだから。

 どう生きてどう死ぬかは自己責任であって、医師はそこに脇役として参加するに過ぎないと、わたしは思います。 

 「3人に1人はがんで死ぬ」という総計の裏側には、「3人に2人はがん以外の原因で死ぬ」という現実があります。生きとし生けるもの、死はこの世の摂理です。小野寺さんは、その摂理を受け止めることが、患者にとってよりよいがん治療の出発点になると述べています。

 わたしたちは、がんが怖いのではなく、死が怖い。

 この本は2012年に刊行された本を新書に改訂したもので、新たに医師で作家の久坂部羊さんの序文が付いています。序文によれば、刊行から13年を過ぎ、麻薬の使用法など一部にやや古い点があっても、がんに対する向き合い方はまったく古びていないそうです。

 著者の小野寺さんは、2019年にがんで亡くなりました。娘の小野寺美奈子さんが「あとがき」を書き、そこで父の晩年の闘病の様子を振り返っています。

 個人的には小野寺さんが示したような治療と末期の選択を、わたしも行いたい。しかし最後まで自分の人生の主役が自分であるためには、結構な覚悟と学びが必要です。

 「終活」は遺される人のためであり、心の「終活」は、生きている自分のためだと思いました。

              

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