年末になり、たまたま見ていたテレビ番組で、指揮者の小澤征爾さん、詩人の谷川俊太郎さんら2024年に亡くなった著名人を取り上げて1年を振り返っていました。個人的には、美術史家で評論家の高階秀爾さんも忘れられません。10月17日、92歳の生涯を閉じられました。
「近代絵画史 ゴヤからモンドリアンまで」(高階秀爾、中公新書上下2冊)は、半世紀前に刊行され、今なお名著だと思います。
普通の通史ではなく、印象派をはじめ次々に生まれた運動は、どんな必然性があって現れ、画家たちがどんな苦闘をしたのか。そしてやがて、抽象絵画につながっていくまでの面白さ。分かりやすく分析、解説され、まるで近代絵画をテーマにした群像、大河ロマンを読んでいるようなのです。
絵を見るのが好きな人はたくさんいます。人気作家の企画展があると、美術館は長蛇の列。フェルメールなどは異常なほどで、10年ほど前に東京都美術館でフェルメール展があったとき、入館するのに1時間近くかかり、さらに有名作品の前にも列が蛇行して係員が整理。ここも作品の正面まで3、40分待ちでした。さらに「作品の前で立ち止まらないでください」の誘導。まあ、状況が分かるから仕方ないけどね。
見たかったのはフェルメールの黄色、光と空気の視覚的な肌触り。ところが、何より記憶に残ったのは感嘆するしかない人の数でした。
「モネの睡蓮が好きだ」「ゴッホのヒマワリがいい」「ピカソは青の時代から始まってどれも圧倒的」など、絵のお気に入りは人それぞれ。
あるいはルドンやムンクの幻想、シャーガールの夢のような詩情溢れる画面にひかれる人も多いでしょう。現代のおびただしい人びとの求めに応える絵画は有名無名、実に豊富にあります。
絵は、好きな作品を見つけることができたらそれでいい。知識は関係なく、何か心に響くもの、自分の感性が共振できるかどうかが評価の基準だと思います。ただ、好きな画家なのに分からなくなることがあります。
例えばピカソの若いころ、「青の時代」の写実的で哀愁漂う人物画が好き。でもキュビズムの時代以降、人体がおかしな描かれ方になって分からなくなる。大作「ゲルニカ」は、絵の存在感だけで迫ってくるにしても、写実からの大きな変化はなぜ、そして、それってなになの?
わたしのような素人の疑問に対して、分かりやすく納得できる答えが、この本の中にあります。なるほど。ピカソの才能と時代の潮流が「画家」を「天才」にしたのか。
サブタイトルにあるように、19世紀初頭のゴヤから抽象画のモンドリアンまで、時代を追って多くの画家たちの活動や主義を網羅しながら、羅列ではなく、美を求め続けた人たちの物語として1本の筋が通っています。
書いてあること、忘れたくない。...のに読んだ端から忘れてしまう、自分の頭脳が悲しくなる本でもあります。
この本が近代絵画史なら、同じ高階さんの「名画を見る眼」(岩波新書I、II)は、油絵技法を確立した15世紀のファン・アイクからモンドリアンまで、各時代、各画家の代表作を詳細に解説しながら、結果的に油絵の通史にもなっているロングセラーです。2023年の改訂で、作品のカラー図版が多く追加され、わたしは思わず買い替えてしまいました。