脂がのった海の幸・寒ブリで知られる、富山県氷見市の民宿に一泊しました。和室の部屋は海に面し、窓を閉めても潮騒の音が聞こえてきます。階段を降りると露天風呂。ここからも海と、海の向こうに冠雪した北アルプスを一望できました。
痛飲して畳に敷かれた布団に入り、翌朝はまだ薄暗いうちに起床。露天風呂に行くと、もう5、6人の先客がいました。目的はみんな同じです。山々の向こうから朝焼けが始まり、やがて海が輝き始める光景を、露天風呂から眺めようという魂胆です。
目前に広がるのは、古典文学の世界で代表的な歌枕の一つ、有磯海(ありそうみ)。
ところがわたしは、稜線がくっきり浮かび始めたあたりで、急いで部屋に戻りました。窓から、朝日をカメラで狙おうと心変わりしたのです。
少々寒いけどベランダに出て、シャッターチャンスを待ちました。 朝焼けが始まり、漁を終えて港へ帰る漁船が一艘。稜線の上を、鳥が横切りました。風はほとんどなく、穏やかな潮騒の音だけが耳に寄せてきます。
ちょっと体が冷えたころ、太陽が稜線の上に昇りました。たちまち空は赤く染まり、有磯海には朝日を照り返す光の道が現れます。今度は沖合に向けて、出港していく船が一艘。
万葉集を編纂した大伴家持は、奈良時代の中ごろ(西暦700年代半ば)に、越中の国守として5年間を過ごしました。この期間に詠んだ337首を『万葉集』の中の「越中万葉」と呼びます。
有磯海は、そこから生まれた言葉です。
家持の着任直後、奈良の都にいる弟が亡くなりました。知らせを聞いた家持は悲嘆し、「そんな運命だと分かっていたなら、弟が生きている間にこの有磯の海を見せたかった...」と詠んだのです。
かからむとかねて知りせば越の海の有磯の波も見せましものを
「有磯」は普通名詞で、海中や海岸に露頭している岩(岩波古語辞典)という意味。だから「有磯海」は岩礁でごつごつした海一般を指す言葉のはずです。
しかし家持歌以来、有磯海は現在の富山県高岡市から氷見市にかけての海岸、また広義では富山湾全体を指す歌枕になり、歌人たちの世界で固有のイメージを獲得しました。有磯海を詠み込んだ後世の歌はいくつも挙げられますが、省略。
家持が暮らした国府に近い高岡市雨晴(あまばらし)海岸。写真はとやま観光ナビから引用
江戸時代に俳句が盛んになっても、有磯海は詠み継がれました。
旅に出た芭蕉は、越中に至り、歌枕で名高い海の方向へ街道を折れようとしました。すると「その方角には夜泊めてくれるような家はありませんよ」と脅す人があり、諦めました。
早稲の香や分け入る右は有磯海 (おくの細道)
これは道を分け入ることができず、有磯海を見ることが叶わなかった無念さを詠んだ句です。見ることなく、具体的に描けないからこそ、有磯海の3文字をストレートに結句に置いて、家持以来のこの国の歌の文化の豊穣を、読者に自由に想像させようとしています。
見えずとも、早稲の香がする向こうには...と。さすが芭蕉。うまくて、いわばしたたかなプロの裏技の佳品だと思います。
芭蕉の時代と違い、民宿で食べて飲んで、翌朝の日の出を待ったわたしは幸せなのかな。もっと贅沢だったのは、同宿だった露天風呂のみなさんですな。
いや、わたしも部屋でカメラなど構えず、自販機で冷えたビールを買うやとって帰し、露天に浸かって日の出を迎える手もあったか。「プシュ!」っと、缶など開けながら。
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わたしの写真はCanon EOS KissM2。200ミリ望遠。フルオート撮影。