昭和は子供から大人まで、日本の国民食の一つがカレーライスでした。わが家では母が、わたしの好みに合わせて「ジャワカレー」(ハウス食品)の中辛を作ってくれた。
なにしろ田舎。フレンチやイタリアンは当然、和食という高級料理などつゆ知らず、カレーと日清の即席麺「サッポロ1番」が、腹を空かせた少年の王道でした。
そんなわたしにとってレトルトの「ボンカレー」や「カップヌードル」の出現は、大いなるカルチャーショックでした。「鉄腕アトムの21世紀が確実に近づいている!」みたいなわくわく感があって。
1970年代後半、大学生になって東京で下宿生活を始めたわたしは、近所の肉屋さんでトンカツを買い、部屋のガスコンロで湯煎したボンカレーをかけて食うのがご馳走だった。
注文したら目の前でじゅわ!っとトンカツ揚げてくれた、環七に近い東京都大田区南馬込商店街の肉屋のおっちゃん、今も元気だろうか。いや、たぶん、もうあの世でのんびりしているか。
しばしば妙なことにこだわるわたしは、田舎で記者になって社会に出ると、仕事のストレス解消が料理になりました。チャレンジすべき候補の一つに、カレーが挙がったのは当然です。レシピをさまざまに集め、みじん切りしたタマネギは30分以上、飴色になるまで炒めなけれなならないのだ!
ーとか。....が、しかし。
いまは分かりませんが当時、地方でカレーに必要な各種香辛料を揃えることは極めて困難でした。そもそもコンソメベースのスープにタマネギを炒めて甘みを出し、そこに香辛料を使うのはヨーロピアンカレーで、インドカレーとは別カテゴリーです。
また小麦粉を加えてトロミを出すなんて問題外。「スープカレー」という言い方がありますが、小麦粉でトロミを出すカレールウ(日本のカレー文化)が生んだ、日本ならではの言葉で、そもそもカレーはスープ状ではないの?。
いえ、えーと。上記はハウス「ジャワカレー」その他、またボンカレーなどにお世話になった昭和の少年が、偉そうに言うのもアレなんですけれど...w。
さて30歳のころ、たまたま2週間ほど仕事でインド各地を巡ったことがありました。街中の食堂でも食べたし、ホテルの朝食もすべてインドスタイル。カレーという食文化の広がりは、なんともすごい。日本人にとってすごいのであって、インドのみなさんにとっては普通なんですけど。
帰国後間もなく、その仕事で書いた原稿が縁になり、地元のインドカレー専門店と知遇を得ました。厨房スタッフはインドやパキスタン出身で、このお店のカレーに、ため息ついてしまった。
以来、わたしは理想のカレーを自作する試みを放棄しました。素人がどう足掻いたって及びません。先日、またランチに行ってきました。
カレーはあまり辛くないやつを注文。ご飯またはナンを浸し、さくさく食は進むのですが、汗がダラダラ出てくる。ん。これっていつものことながら、わたしの味覚を欺いて実はとても辛いのか?。
そしてタンドリーチキン。こちらは密かに、ずっと家でチャレンジし続けていても勝てん!(当たり前)。ネット上に満載の数々のタンドリーチキンレシピの、なんと虚しいことか。
ごちそうさまでした。