ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

届かない恋心 切ない大人の童話 〜「やさしい訴え」小川洋子

 「やさしい訴え」(小川洋子、文春文庫)を読みながら、読み終えて、しばし考えました。この小説について、なにか書くべきなのか...。以前、このブログである恋愛小説を取り上げたとき、以下の趣旨のことを書きました。

 いい恋愛小説はただ共感できるか否かであり、それ以外の小賢しい評は蛇足でしかない、と。今思えば「偉そうに...」wwなんですが、本によって、読者が接すべき態度が異なるのは当然だと思います。

 この作品に関して書くことは、共感を離れて、意地悪な客観的視線で見直すことになります。野暮ですよね〜。それでは、できるだけ野暮にならないよう努力して簡潔に蛇足を記します。

 

 <わたし>は一人、林の中にある古い別荘に逃げてきます。愛人を作って、堂々と二重生活を続ける夫。かつて愛し合ったはずの夫に対しても、愛人に対しても、直接の怒りや憎しみを向けることができず、ただ苦しむ<わたし>。なにも告げない突然の別荘行きは、現実からの逃避行・家出です。

 木々を隔てた別荘に、チェンバロを制作する男がいて、若い女の弟子が通っていました。やがて3人は親しくなり、男への<わたし>の恋心が切なく流れ始めるのです。黙々と古楽器を作る男の過去が明らかにされ、女の弟子の過酷な体験が語られ。

 こうして要約すると、まさに大人の童話のような舞台設定です。世間から隔離された別荘地、過去に深い傷を持つ男と女、チェンバロ。それでも、不思議な三角関係が、意地悪でがさつな読者であるわたしの心をとらえて引き込んでいく。

 <わたし>は夫の浮気に苦しみ、それなりの人生経験を積んだ女です。その初々しい心の襞と揺らぎを描く、文章の流れが見事だから。恋心、嫉妬。そして

 これは男には絶対に書けない小説だ。

 と思いました。

 読後に「やさしい訴え」を調べると、ラモーのチェンバロ曲。You Tubeに演奏動画が複数アップされていて、これをあのチェンバロ工房で弟子が奏でたのかと思うと、なんともハマりすぎていて。小説の残響のようでした。作者、小川さんのこだわりですね。