ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

思えば遠くへ来たもんだ

 たまたまSNSと、とあるブログで相次ぎ、手塚治虫が1970年に描いた同じ画像を見ました。人の一生を男女別の図にしていて、なんと10歳過ぎまでと50歳以降は、男も女もないことになってます。

 手塚センセイ、多少のアイロニーを込めて描いたと想像しますが、半世紀以上を経た現代とはあまりに違う。いま年金支給の開始年齢は65歳、しかも「まだ働け」という風潮です。ところが図は、そんな年齢自体が対象外です。

 厚生労働省のデータを調べると、1970(昭和45)年、日本人の平均寿命は男69.31、女74.66歳でした。夏に大阪万博があり、秋には三島由紀夫が自決した年です。

 当時のわたしは中学生で、色気づいて?きたころ。歴史で学ぶ過去ではなく、意識の上で現在と地続きになっている<あの時>です。さて、これをお読みのあなたはどうでしょうか?

 思えば遠くへ来たもんだ〜🎶 のフレーズが頭をよぎります。とっくに取り壊された木造の校舎や休み時間の廊下に響く友人たちの声、いつも遠くから見ていたあの子の横顔。汗まみれの部活を終えて帰る、夜の田んぼ道で見上げた星々の瞬き。カエルの合唱が、疲れたわたしの足取りを包んでいました。

 

 当時の常識、あるいは常識に近かった手塚治虫の絵・人の一生を見ると、わたしはとまどってしまいます。いま、自分はどこにいるんだ?。

 21世紀も四半世紀を経て、同年代の女性たちがお洒落な店でランチに集まれば『女子』会。男連中が飲み屋で落ち合っても男子会とはならず、強いて言えば敬老会になりそうなので呼称はなくてよい。あ、これはつまらない愚痴だ。さて

 昨日から林芙美子の「放浪記」(新潮文庫)を読んでいます。大正11年から5年間の日記をベースにした自伝的作品。1920年代の東京で、男を追って田舎から出てきた芙美子が、男に捨てられ、孤独と貧困の中で働き、生きた記録です。

 当時の東京の日常と風俗を描く筆はさすが。空気感と、芙美子という人間が見事に伝わります。そして大正だろうと昭和だろうと、令和であろうと、人の喜怒哀楽に変わるところはなく、100年前の作品に引き込まれます。

 自分にとって存在感がある女性作家が一人増えそうで、そんな体験をまだ積み重ねることができるのは素直にうれしい。新しい本や人との出会いがあれば、令和の時代をもう少し生きるのも悪くないのではないか。夏は少々、暑すぎるけれど。

 

         

 掲載画像、引用ですが原典の所在がどこか分かりません。