在宅で細々と仕事をし、それも最近はけっこう暇で(う...)、昼は一人買い溜めした冷凍食品ですませています。まあ、わたしの食のレベルは現状、そんな具合です。
まだお気に入りの冷凍坦々麺とかパスタの在庫はあるのに、スーパーへ出かけたのは、PayPayで支払えば30%還元!されるキャンペーンが始まったから。これ、わたしが住む市がPayPayと組んで実施した、お店と消費者支援の新型コロナ対策です。
冷凍食品を買い足し、鮮魚売り場で思ったのは「たまには、食べたいもの作ってみようか」。魚介類を数品かごに入れ、晩飯は海鮮丼に決めました。外出中のかみさんにSMSを入れて「夜はおれがつくるから」。
帰宅して、ボールの塩水でアサリの砂出し。海鮮丼には、海のもののおすましをーという構想でした。さて、その間に鈍って久しい包丁(自分用)を研がなければ。
30年数年前に買って真ん中がすり減った挙句、真っ二つに割れた砥石ですが、なに、それなりに研げます。昔は刃先だけに集中して包丁を研ぐ時間が、最高のストレス発散だったものです。
ごりごり洗ったアサリを冷水に入れ、昆布を浮かべて点火。
急がず、超トロ火。
**********
若いころ、料理をすることは最高のストレス発散でした。包丁を研ぎ、食卓の構成を考え、一品ごとに過程をアレンジできるところが楽しく、食べれば消えてなくなる潔さもなんだか爽快でした。
ある時、実家に帰ってわたしが料理したことがありました。
父と母に美味しいものを食べてもらいたいと思って。買い出しでメニューの中に煮魚を選びました。頭の中には、当時人気だった和の鉄人・道場六三郎さんのレシピ。
魚は酒6、みりん1、醤油1で煮る。
魚によっては、アクを取るだけでなく、事前に湯通しで臭みを取ってから。そして
その夜の食卓。煮魚を口にした母が静かに言いました。
「これ、どうやってつくったの?」
煮るのは酒で、水は使わないーなどと、得々として蘊蓄をたれたわたしを見て、母はため息をつきました。そしてつぶやいたのです。
「そんな贅沢な料理なら、美味しいのに決まっとる。できる中で美味しくするのが料理やよ」
わたしの心に、一生残る言葉でした。時代はバブル、グルメが大ブームでいつの間にか自分も染まっていたのです。
そもそも、うちは先祖代々<庶民濃度>120%。特に母は子供のころに父親を戦争で亡くして苦労し、結婚してからも必死にやり繰りして、わたしを大学まで出してくれました。
がんを患い、死期を悟った母が、60代であの世に行ってもう20年になりました。
**********
さて、自作のお吸い物に関しては、完璧に「NG」でした。
出汁昆布のパックから一切れ、そのまま使ったのがいけなかったのでしょう。いま写真を見ても、水の量に対して昆布が大きすぎ。大切なアサリの味わいを殺してしまいました。あ、海鮮丼はそれなり。
かつて、ある人から聞かされました。
「料理人は一味を惜しむ」
100%ではなくて、98%くらいのごくごく微妙な薄味が一番美味しい(というのはわたしの勝手な解釈ですが)。庶民濃度120%のわたしは味もつい過剰にしてしまい、相変わらず失敗ばかり。
男の料理で、母の手料理の域に達することは、とっくに断念しています。