ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

わたしは果てない夢をみる 〜「三度目の恋」川上弘美

 「むかしむかし....」で始まる、おばあちゃんの昔話。語りの前置きとして、各地の方言に形を変えながら伝わってきた、あるフレーズがあります。

 ありしか なかりしか知らねども あったこととして聞かねばならぬぞよ

 これ、直裁で素朴で、かつ<物語>というものの本質に迫る一言です。

 「三度目の恋」(川上弘美、中央公論新社)を読み終えて、ふと思い浮かんだのが昔話のこの前置きでした。ページを埋めているのは、一風変わった恋の奇譚。そして、あったこととして読まねばならぬぞよ。

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 作品は「昔の章」「昔昔の章」「今の章」の3部構成。現代に生きて夫の浮気や育児に疲れる主人公のわたし・梨子は、毎夜の夢の中で時空を超えた<別の女>として生きています。

 「昔の章」は、江戸時代の吉原。子供のときに売られ、成長しておいらんになる春風。男に惚れてはならぬおいらんが恋をし...。

 「昔昔の章」では一気に平安時代にまで遡り、そこではある姫に仕える年若い女房(女官)。姫の夫は、在原業平。つまり梨子は平安初期に書かれた「伊勢物語」(作者不詳)の世界に入り込むわけです。

 全編を通して、現代に生きる女性・梨子と、夢の世界が同時進行します。夢の中の出来事が詳細に描かれて、読み進むほど果たしてどちらがまことの現(うつつ)か、そもそも現実とは何かという気分になります。

 これは「川上ワールド」ですね。川上さんの代表作の一つである「真鶴」なども、幻想と現実が渾然一体となって不思議な力を持つ異色作でした。

 「今の章」は末尾に置かれた短いエピローグです。夢を見なくなった梨子。その梨子が子供のころ、時空を超える魔法についてほのめかした「高丘さん」がある役割を果たします。

 奇譚とも言うべき小説ですから、例えば「そもそも高丘さんとは何者なのだ」などと合理的に突き詰めても意味がありません。彼は、ただ彼の姿をしてそこに在ったのだーということなのでしょう。

 作中、愛とは、恋とは、好きとは、と梨子は自問しますが、答えは簡単に言葉になるものではありません。結局その類の問いに対する答えとは、さまざまな体験を経て各自が心に感じる(納得する)何か、なのかもしれません。

 川上ワールドは、読後に自分なりの解釈を試みることが時に虚しくなります。作品の存在感を、ただ受け止めるのが一番いいのかな。

 作者「あとがき」によれば、2016年に「伊勢物語」の現代語訳を上梓したあと、業平という「魅力的ではあるけれど、謎の男」に迫りたかったのが出発点、とあります。

 「そしてまた、この小説は『高丘親王航海記』(澁澤龍彦著、文集文庫)への大いなるオマージュでもあります」

 たまたま今年に入って、ブログで澁澤龍彦について書いたばかりでしたが、川上さんが澁澤かあ、へーえそうなんだ。澁澤の「高丘親王航海記」は、遺作となった幻想的な歴史奇譚で読売文学賞受賞作。ちなみに高丘親王は、「三度目の恋」にも後半になって登場します。

 本書の帯によれば「千年の時を超え、人を恋い、惑う心の深淵をのぞく極上の恋愛小説」。うーん。まあ、基本的に偽りはありません。ただ「極上の恋愛小説」として、気楽に楽しめるかどうかは微妙かも。読む前に心がけることがあるとすれば一つだけ。

 

 ありしか なかりしか知らねども あったこととして読まねばならぬぞよ

 

                

        

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