くーが逝って以来、どうにも本を読む気になれません。本に限らず、活字全般を自分の中に摂り入れる、あるいは発する(何かを書く)ことが億劫になったままです。言葉というやつはときに、何とも重い。
このブログのタイトルは「ことばを食する」ですが、食欲のないときに無理して詰め込むつもりはありません。
そんな具合なので、毎週やってくるたった1本の短い原稿の締切が微妙に辛い。しかし、わたしのか細い収入の柱だし、こればかりは穴をあけて迷惑をかけるわけにいきません。
現状を仰々しく、<喪失感>とか<悲しみ>などと表現するつもりは、全くありません。ごく普通に日常生を送っています。リアルのほうの食欲も酒の量も変わらず、むしろ少しくらいは減退してほしいと思うくらい。
そもそも私は父も母も既に亡く、自分が喪主として送り出しました。親しかった人が、がんで逝ってしまったこともありました。16年間生活を共にしたとはいえ、くーは犬です。
ただ一方で、人と犬の繋がりとは、純粋に互いを信頼しあって裏切られることのない稀有な関係だったのだと改めて思うのです。ふと、庭にくーを探したりしてしまい。
そんな今、淡々と集中できるのが油彩です。言葉は必要なく、しかも静物画なので、ただじっとそこにある<もの>を見つめ、愚直に画布に筆で再創造を試み続ければいい。
出来はどうあれ、対象に向き合い、手先を動かすという単純な行いが、不思議に安心感をもたらしてくれます。
相変わらず描くスピードはノロくて、完成は年をまたいで来春になることは確実です。とりあえず現状のご報告まで。