ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

目の前の路地をきれいに お絵かきの目標

 うまくいかない。というか、難しい。

 こつこつやっている、お絵かきのことです。F6号という小さなキャンバスに静物画を描こうと構図を決め、事前の試し描き(エスキース)として、構図の一部にある2個のイチジクをスケッチブックにデッサンしました。

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 なにせ経験値の乏しい素人なので、鉛筆デッサンにしても手探り。技術と経験のなさを補うのは、集中力しかありません。10分鉛筆を持ったら、「はあ」と息を吐いて20分休憩。そしてまた画面に向かって、せいぜい10分。デッサンだろうと、キャンバスに筆の油彩だろうと、これが今のところわたしの基本ペースです。

 とりあえずここまで描いたところで、薄く色を置いてイチジクが『そこにある』感を出してみようかと、筆にごくごく薄く油絵具を馴染ませて彩色。ところがこれが、けっこう微妙....ww。

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 色がついた分、木炭の微妙な階調が薄れて、なんだか自分的にはしっくりきません。濃く彩色すると鉛筆の階調がさらに消えるので、これ以上は怖い。全体に色を置くのではなく、もっと「この部分だけに色」とポイントを絞るべきだったか。う〜ん、むずいw。

 でも、しょせんは試し書きだからいいかと思い。しかし再び「でも」なのですが、この調子だとキャンバスに描き始める前段階にどれほど時間がかかるんだろう?、とも思い。実は今後もうひとつ、静物の下に敷くレースのテーブルクロスも部分的に試しデッサンする予定なのです。はあ...。

 そんなわたしに勇気を与えてくれたのが、昨日読み終えた柳原和子さんの「百万回の永訣 がん再発日記」(柳原和子、中央公論新社)のあるくだりでした。

 ジャーナリストの柳原さんはカンボジア難民を取材し、また40カ国65都市に暮らす日本人をたどりました。そして、医療問題に視線を移して京都に移り住みます。そこで小さな町屋に住むお婆さんを知るのです。

 お婆さんはその家に嫁に入って以来、毎日欠かさず、自宅前の路地を箒でていねいに掃除をし続けてきました。おそらく数十年、よほどのことがなければ京都の町の外に出ることもなく。そのおばあさんの目に見えている光景とは。

 柳原さんは思います。世界を駆け巡った自分と、お婆さんの、「見る」を比べたとき、はたしてどちらの視線が<深い>のかと。

 柳原さんのこの感慨、ちょっと刺さりました。うん。絵に関して自分は、及ばないまでもこのお婆さんを目指そうと思ったのでした。

 目の前にあるものが、「ただ在るということの凄さ」を自分で確認したいから、技術や経験がなくてもお絵かきを続けたい。絵を通して感性やメッセージを誰かに伝えたいなんて思いはかけらもなく、目の前にあるものが在ることに幸せを感じたい。

 「というわけで」というか、「ところで」というか。残暑厳しい夜の始め、今わたしは目の前にある安い麦焼酎のロックが、ことさら愛おしくなるのでした。ほろ酔いで透明な氷を眺めたりして。在ることとは、いいなあ....わたしはおめでたい性格なのか、救いようがないのか、自分でもよく分かりませんw。