ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

タマネギを炒める 〜雑文

 このところ、腰を据えて本を読む時間がありません。ある長い原稿のアンカー(最終的な編集、点検役)を頼まれて、片手間ではできないと分かりながら断りきれなかったのです。原稿用紙に換算すると300枚ほど。やはり一筋縄ではいきません。まだ1、2週間はかかりそうです。

 気分転換にタマネギを炒めました。台所に立って、久しぶりにハンバーグを作ったのです。

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 料理を趣味にしていたのは、20代後半から40代の終わりころまででした。仕事がもっとも忙しい時期でもありました。今は「ブラック企業」という言葉がありますが、振り返れば当時の環境はブラックそのものだったのです。

 台所に立てるのは週1回もなかったにせよ、どうやってその時間を捻り出していたのかさえ、不思議で仕方がありません。

 あのころ、仕事は事件や事故、災害の発生と連動していました。しばしば政治や経済の動きにも振り回されました。世の中で起きることは24時間、365日予想がつかないので、厳密にいえばわたしの仕事にも一瞬たりとも休みがなかったことになります。そして連日、日をまたぐまで原稿の締め切りに追われました。

 帰宅すると一刻も早く眠りたかったので、缶ビールをあおりながら風呂に入っていました。もっと若かったころ、締め切りまであと2時間しかないのに、1行も出てこないという地獄のような実体験があって、その後長く悪夢になってよみがえり、短い眠りを貪っている当時の私を苦しめたものです。さすがに今はないけどね。

 そんな時代のわたしを支えたのがなぜか料理であり、例えばタマネギを炒めることでした。

 カレーでも、ハンバーグでもいい。タマネギをみじん切りにすることから始まります。2コも切れば、まな板は結構いっぱいになり、肉に対してこのタマネギは多すぎるだろ〜みたいな感じ。油をひいたフライパンで炒めます。最初中火、途中から弱火で、これもビールを飲みながら。

 30〜40分もすればタマネギはきれいなキツネ色になり、分量は何分の1かになってしまいます。わたしは黙々と、木製のしゃもじでタマネギを返し続けました。この一瞬一瞬に美味しさを生み出しているのだという思いを込めて。

 寝ても書けない悪夢にうなされたのに、料理の時間だけ、わたしは仕事のストレスから完全に開放されていたのです。出来上がりまではたいてい2時間近くかかるので、その頃になると酔っ払ってしまい、しばしば食べることはもうどうでもよくなったものですが。

 こんなふうにして20年以上、和食、中華、イタリアンとそれなりにレパートリーを広げ、だしはしっかり取れるか、包丁は切れるかなど、基本中の基本がいかに大切かを知りました。

 切れる包丁(切ると言うより、切っている物に<吸い込まれていく>包丁)がなければ、どんな料理人も魚を三枚におろし、皮をきれいに剥ぎ、美味しい刺身にすることはできません。逆に言うなら、道具を含めた基本が前提であって、そこに手を抜く素人が本物を作ろうとすること自体が傲慢なのです。

 <プロ>であることを自認したいなら、どんな仕事も同じ。そしていくら基本を整えても、結果を出せなければプロではありません。料理から学んだこの考え方は、自分の仕事に対する姿勢にもなりました。

 さて、すでにわたしはそんなシビアな環境にいません。冒頭に戻れば、久しぶりにタマネギを炒めたのです。のんびり。飲みながら。タマネギを切るときには「包丁が鈍っているなあ」と感じて、戸棚にあるすり減って湾曲した砥石を思い浮かべましたが、「研ぐのはそのうちでいいか」と面倒を先送りにしました。

 簡単なソースを作って、温野菜を準備し、フライパンでハンバーグの表面を強火で焼いてから250度のオーブンに入れるころには、すっかりアルコールが回って、もう食べなくてもいい気分になっていました^^;。

 我ながら、相変わらずだなあ...。はあ。