ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

心地よいウイット 〜「ニューヨーカー・ノンフィクション」常盤新平 編・訳

 最近は<巣ごもり>気味なので、このさい難破船のごとき部屋の本を整理しようと思い立ったのが昨日。開始15分で早くもどう収拾をつけるか茫然とし始め、手にとった昔の本をちょっと開いてみたら、現実逃避という悪癖が即座に作動して読みふけってしまいました。で、この部屋、どうしよう...。

 「ニューヨーカー・ノンフィクション」(常盤新平編・訳、新書館 たぶん絶版)は1982年刊。ニューヨークの週刊誌「ニューヨーカー」に掲載されたノンフィクションから、英米文学者で抜群のセンスを有する常盤さんが、気に入った作品を選んで訳した1冊です。

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 日本のスポーツ総合誌といえば、なんと言っても「Number」ですが、ライターたちが参考にしたのは「ニューヨーカー」などで活躍した先輩陣ではないかと、個人的に推測しています。「Number」と「ニューヨーカー」を比較してみると、そこに国民性が見えるようでなかなか面白い。

 「Number」の掲載原稿は基本的にシリアスで、生真面目にスポーツと人間を追いかけます。そこからたくさんの優れたライターを排出し、ドラマが掘り起こされてきました。

 対して「ニューヨーカー」は、この本を読む限りですが、どんなシリアスなテーマであっても、現実を再構成してドラマを語る文体にウイットの精神が流れています。ライター8人のノンフィクションを集めてありますが、みんな原稿が上手い!

 亡き名ライター・山際淳司さんなどは、こうしたアメリカの先輩たちから強い影響を受けていたと感じます。ちなみに「ニューヨーカー」はスポーツ専門誌ではなく、幅広いジャンルのノンフィクションを扱っています。

 収められた1編「オリンピック大会」(E・J・カーン・ジュニア)は、50年前の東京五輪のルポです。こんな書き出しから

 十月二十五日、東京

 オリンピックはきのう幕を閉じ、その興奮は静まりつつあるけれども、日本がいったい平常にもどるのかどうかを予測するのは、ここの平常というものが何なのかを判断するのと同じほどむずかしい。

 東京五輪はもちろん国家の一大事業でしたが、そもそも戦後復興から高度経済成長へ進む時代背景そのものが<平常・平静>がない激動期で、のっけからウイットに富んだ文体で当時の日本社会を言い当てています。

 この後は記者として見たこと、マラソンの円谷選手やソ連の陸上の姉妹、市民のおもてなしぶりなどについてレポートが続きます。一生懸命、外国から訪れた人びとを歓迎しようとする努力と試行錯誤に感嘆しつつ、その姿勢を

 日本人好みの頭の体操である自己反省

 と書いたり。座布団1枚!、と心の中で叫びました。この文章だけ抜き出すと誤解されそうですが、日本人を揶揄するというより、アメリカ人の大雑把さの方を揶揄しつつ、しかしそれがアメリカなのだと再認識するニュアンスです。

 頭の体操である自己反省 が今も日本人の特徴だから、災害時の秩序や、ワールドカップ試合後のスタンド清掃、「お・も・て・な・し」などがあるのでしょう。

 残る7編はボクシングヘビー級のカシス・クレイ(アリですね)を追った「詩人と教師」をはじめ、犯罪ものあり、人情もの(?)あり。30年ぶりくらいの再読でしたが、ほぼ忘れていたので楽しめました。

 昔の原稿って、やはり味があるなあ。