ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

遊びをせんとや生まれけむ 〜「梁塵秘抄」

 遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん

 平安時代末期の1180年ごろ、後白河法皇によって編まれた「梁塵秘抄」の中で、もっとも知られているのがこの歌ではないでしょうか。この歌が涼しい風のように心に触れてくるのは、言葉の後ろに、描かれていない反語とも言うべき世界を感じ取るからだと思います。

 人は遊びをしようと生まれてきた。戯れにただ興じようと生まれてきた...

 (...はずなのに、大人になるとあくせく働き、人間関係に疲れ悲しみ、不運を嘆き....)

 かっこ()で括った部分には人それぞれの思いが入るのだろうけれど、わたしの場合は辛い境遇にあるときほど、つい口ずさみたく歌です。この歌が持つ魅力の構図、平安時代だろうと現代だろうと色褪せない普遍性があります。

 歌は七五調4節で、以下のように続きます。

 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ揺(ゆる)がるれ

 遊ぶ子どもの声を聞くと、大人の自分も声に合わせてつい体を揺すってしまうよ...。

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 調べてみると、この歌には微妙に異なる解釈というか、ある視点から焦点を絞った解釈もあるようです。

 「梁塵秘抄」に収められた「今様」(いまよう)は、当時の現代歌謡。短歌が格調高い宮廷文学なら、こちらは大衆歌謡です。

 そして歌ったのは遊女(あそびめ)などと呼ばれた女性たち。

 「遊び」「戯れ」に、もっと大人の意味をしのばせて、実は我が身を売って生きる境遇を嘆いていると言うものです。

 

 無邪気に遊びをしようと生まれてきた。戯れにただ興じようと生まれてきた...はずなのに、このわたしの今の有り様は...

 すると、結びの 我が身さへこそ揺(ゆる)がるれ には、表面的なイメージの背後に、生きることの哀しみに揺れる遊女の心が重なります。

 子どものあどけなさと、遊女。対極とも言える現実の解離が歌に溶け合って、これもなかなか捨てがたい読み方です。かなり穿った<読み>ではあるけれど。

 当時は歌われたのですが、五線譜などもちろんなく、歌詞だけが記録されて今に伝わりました。無理と分かりつつ、どんなふうに歌われていたのか聴きたいところです。確か2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」は、この歌にメロディーを付けてメーンテーマ曲にしていました。

 それにしても平安時代末期の俗謡がしっかり残っていて、宮廷文学の狭い世界とは別の息吹を伝えてくれるとは、日本の文化の奥深さを感じます。

 

 さて、前回の稿で簡単に触れましたが、最近はしっかり本を読む心と時間の余裕がありません。気分転換に、古本で見つけた「梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡」(新日本古典文学体系、岩波書店)をときどきめくって、分かりやすい歌だけこんなふうに拾い読みしています。

               

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