角川文庫で全5巻からなる「全集・戦後の詩」が刊行されたのは、昭和48年から49年(1973〜74)にかけてでした。少なくとも第1巻は再版が出ているので、少しは売れたのだと推測しますが、文庫でこんな企画を実現すること自体に出版社の意気込みを感じます。
角川書店は創業者の角川源義さん、娘の辺見じゅんさん、角川春樹さんと、歌人や俳人の家系でもあるので、社風に詩へのバックグラウンドがあったのかもしれません。今となっては、この5冊の存在を知る人はかなり稀でしょう。紹介しながら、とっくに絶版というのは申し訳ないのですが....。
終戦直後から昭和40年代後半まで、ほぼ30年近い間に活躍した詩人たちを1巻に約20人、計およそ100人収録しています。編者は鮎川信夫、大岡信、小海永二の3人で、巻末解説は大岡、小海の2氏が分担して書いています。まあ、鮎川さんは年長のご意見番みたいな感じだったのかな。
各巻260円、最終巻のみ380円。当時高校生だったわたしには、食堂のお昼を1回抜くだけで1冊買える貴重なシリーズでした。戦後をほぼ網羅したこの全集で、実に様々な個性に出会い、これと思った詩人は思潮社の現代詩文庫を買うというのが、一つのパターンでした。もう一つのパターンは、立ち読みする「ユリイカ」や「現代詩手帳」でお気に入りの詩人を見つけ、やはり現代詩文庫で本格的に読むことでした。
さて、突然ですが........
はげしい夢を病んだ
ぼくたちのまぶた
若者にとって、夢の実現のために身を削ることは、普通は「良いこと」「素晴らしいこと」です。たとえ夢破れても「その体験はいつか生きる」などと大人は言います。しかし、激しい夢であるほど挫折は深く、そもそも夢を追うとは、決して手に入らないものを追い求めること、とも言えます。
だから詩人は、夢を病んだと表現します。ところが、夢なんて病気だと認識して切り捨てようにも、もう見ないように閉じたまぶたにまた、ぼんやりと新しい夢の明かりが滲み始めます。なにしろ、生きるために必要な「希望」と「夢」は、1枚のコインの表裏みたいなものですから。
充血したまま殖えていく
夢の病原
第5巻に収録された、渡辺武信さんの「名づける」という詩の一節です。もちろん、個人的で勝手な詩句の解説ですが、どう読むかは読み手の自由です。
あのころ、高校生という自分でも非常に扱いづらい精神状態の時期に、渡辺さんをはじめ多くの詩人たちのフレーズが、わたしに刺さってしまったのです。刺さり方はそれぞれでした。
振り返れば、詩だけでなく本を読むこと自体がわたしにとっては「夢を病む」ことだったと思います。それからもいろいろな夢を病んで、今もつまらない夢はありますが、悲しいことに夢という病気の飼い慣らし方も、それなりに学んでしまったことに気づきます。