ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

助け合う心 〜雑文・長野市豊野地区にて

 日本の広範囲にわたって甚大な被害をもたらした台風19号から、2週間余りが過ぎた2019年10月28日、わたしは千曲川の大規模氾濫に襲われた長野市豊野地区を訪れました。午後3時過ぎ、作業を終えて帰途につく災害ボランティアとすれ違いました。両手にゴミ袋を下げ、長靴は泥にまみれていました。

 都市機能の生命線である道路を覆った泥は、管理する国や県、市が最優先で排除し、幹線道路は車が往来していましたが、この日は晴れて、アスファルトにこびり付いた残土が乾いて舞い上がり、一帯はマスクが必需品でした。

 スーパーやコンビニは閉店したままです。辛うじて、店先のテントで生活必需品を販売していました。駐車場は泥で黄土色。機材を使った泥の排除はしてあっても、道路と同様に水で洗い流すまでは手が回っていません。通りかかった病院の玄関では、職員が車椅子を並べて洗浄していました。

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 長野県によると、10月30日の集計で死者4人と行方不明1人、家屋全壊799、半壊1161、一部損壊1122、床上浸水2544世帯にのぼっています。この数字は日々変動していて、災害時に被害の全容を正確につかむ難しさを示しています。

 道の泥は行政が始末しますが、浸水した家の泥かきや家財処分は住民の手作業です。心が折れそうな、重労働です。しかも、高齢者のみの世帯であふれているのが今の社会。災害ボランティアの力を抜きに、復旧は進まないと実感しました。

 冒頭、午後3時過ぎにボランティアとすれ違ったと書きましたが、災害ボランティアの活動時間は午後3時までです。その後ボランティアはバスや交通機関を使い、遠方からの人は夜遅くにようやく自宅に帰り着くことになります。

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 阪神淡路大震災では全国から延べ138万人が駆けつけ、「ボランティア元年」と言われました。時代をさかのぼれば関東大震災時、避難民が集まる上野公園に東京帝大生が仮設トイレを作った記録があるといいます。

 繰り返される自然災害に苦しみながら、災害大国であるこの国は「助け合う心」を育ててきました。

 わたしの記憶に鮮明なのは1997年1月、嵐の日本海で座礁したナホトカ号から重油が流出した事故です。大量の重油が福井県の海岸に押し寄せました。真っ黒になった海岸線、そして油まみれの海鳥を洗浄して救うために、たくさんのボランティアが連日集まりました。人の命や生活ではなく、自然や鳥を助けるためにこれほどの人が駆けつけたという事実は、わたしの日本社会についての認識の根底を揺さぶりました。

 一方で東日本大震災時もそうでしたが、被害が広範囲にわたった場合、マスコミの災害報道からもれる地区がたくさんあるため、困ったことにボランティの集まる市にばらつきが出たりします。

 わたしが訪れた地区の豊野中学は、11月に入った今も休校が続いています。地球規模の環境破壊が進むことで、今後さらにスーパー台風などの自然災害が相次ぐかもしれません。大地震は、科学的にも将来必ずやってきます。1990年代以降、気づいてみればもう、「天災は忘れたころに」どころではない時代に突入しています。しかし「助け合う心」の絆さえあれば、人は前を向いて頑張れるはずだと信じています。

                    

 長野市豊野地区の記事を訪問当日に短く投稿しましたが、大幅に改訂したものです。この記事に伴い、前稿は削除します。