ことばを食する

本たちとの、出会い、すれ違い、言葉との恋愛。つれづれなるまま記していきます

切なく、冷たく 〜「雪国」川端康成

 50歳を過ぎて「雪国」(川端康成、新潮文庫)を再読したとき、男と女を描いてこれほどまでに艶(なまめか)しい小説だったのかと、唖然としました。つんと底冷えする雪国だからよけい、一途に織り上げられていく「女」が切ないのですね。

 逗留する越後湯沢の温泉宿で、島村と駒子が一夜をともにした翌朝、駒子は人目を恐れて逃げるように宿を抜け出します。島村もその日東京に帰り、前触れもなく再び戻ってきたのは半年後。駒子が島村の部屋にやってきます。

 その顔は眩しげに含み笑いを浮かべていたが、そうするうちにも「あの時」を思い出すのか、まるで島村の言葉が彼女の体をだんだん染めて行くかのようだった。女はむっとしてうなだれると、襟をすかしているから、背中の赤くなっていくのまで見え、なまなましく濡れた裸を剥き出したようであった。

 わたしが川端作品を読んだのは高校から大学にかけてのころ。「川端はだいたい読んだよ」と言いたくて、アリバイ作りに主な作品を読みあさりました。しかし、青臭い若ぞうが、こうした細部の描写を本当に読み切れたはずもありません。

 作品に、具体的な性描写はほとんどありません。例外は、引用した文中の「あの時」の描写ですが、流し読みをしたらそれが性描写だと気づかないかもしれない10数行です。艶めかしさとは、そんな底の浅いことではないと思い知らされます。

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 「雪国」にはたくさんの論評や研究があるので、わたしがそれらをなぞっても仕方ないでしょう。また、あらすじを紹介しても、これがまたあまり意味がないのです。ある方がSNSで

 「男と女がひたすら乳繰り合う話」

 と書いていましたが、それがあらすじです。

 ただし、性描写のない、冷たい視線のエロス。具体的な行為を隠れた点にして、点と点を結ぶ女と男の仕草や心が緻密に綴られ、魅力的な脇役も絡んで切ない抒情が浮かび上がります。SNSに書いた方も、分かった上で放り出したのでしょう。まずは読んでみてよ、と。

 ストーリーで読ませる小説ではありません。通常なら、作品を読み込んで咀嚼し、分析し、つまり論理的な深掘りをします。しかし小説は、読み手の論理的な思索からこぼれていく魅力がたくさんあって、川端作品はそんな、論理からこぼれ落ちる魅力だけで成り立つ世界です。しかも「雪国」は代表作の一つ。

 川端は若いころ「新感覚派」と呼ばれた一人でした。10代で書いた習作(掌編)は、まさに生々しい新感覚派で、川端文学の原点があると思います。「雪国」を、いままた読み返し、白い絹が冷ややかに肌を滑って流れ去ったような気がしました。