面白いとか、感動したと言うより、胸に痛みが残る小説にときどき出会います。「蛇にピアス」(金原ひとみ、集英社文庫)はそんな一冊でした。文庫本で100ページ余りを駆け抜けて鮮烈。この作品を書いたとき、作者19歳。「才気あふれるデビュー作」などという月並みな感想は、たちまち作品にはね返されそうです。
いきなりポール・ニザンなど持ち出すと驚かれるかもですが、浮かんだのです。
「ぼくは二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて、だれにも言わせはしない」(アデン・アラビア)
この文章に出会ったころ、私もちょうど二十歳くらいでした。作品冒頭の一文は胸に刻み込まれ、その後年齢を重ねるに従って、若さをストレートにぶつけた作品に対して、しかも優れた作品であるほど、大人としての安易な言及をためらうようになりました。
「蛇にピアス」に戻ります。ルイ。アル中で拒食気味の少女。たくさんのピアス穴、同棲する男を真似て舌先を二つに割ろうと(スプリットタン)決め、舌にもピアス穴をあけて広げていきます。さらに痩せた左肩の裏から背中にかけて、龍と麒麟の入れ墨を彫ってもらう。
作品は「痛み」と死の気配があふれています。サディストの彫り師・シバさんとのセックス、同棲相手・アマの無惨な死体。
「なあ、もしもおまえがいつか死にたくなったら、俺に殺させてくれ」
シバさんは私のうなじに手を当てた。軽く微笑んで頷くと、シバさんはニッコリして「死姦していい?」と聞いた。
「死んだ後の事なんてどうでもいいわ」
私は肩をすくめてみせた。(中略)自分の意識が宿っていない身体になんて、興味はない。私は自分の身体が犬に食われようと知ったこっちゃない。
作品を見渡せば、見事なほど未来から届く明るい光がありません。安易な「救い」など、入り込む余地がないからリアル。
文章はテンポよく現実を描いて、説明をしません。作品の終わり、ルイは明るい陽の光の中で目を開けます。これも単なる現実描写ととるか、光に別の意味を読み取るか、暗示めいた説明など一切ないので読者の自由に任せられます。
実は、終わりの部分は単行本化の際に書き変えられ、一部に否定的意見もあったらしいのですが、残念ながら私は「すばる」発表時の初稿を読んでいません。
生きることの皮膚感のような痛みに埋め尽くされた作品に対し、大人の訳知り顔で、絶望や希望という言葉を使い回して解釈しても意味はないでしょう。2003年のすばる文学賞、翌年の芥川賞受賞作。
そして、もし私が二十歳前後にこの小説を読んでいたら、かなりのめり込んでしまったと思います。