トマトは、たっぷり砂糖かけてかぶりつくのが一番、という人はあまりいないと思います。ゼロではないだろうけれど極めて稀、というところでしょうか。
さて、これは前回の東京オリンピックよりさらに少し昔の、トマトのお話です。
排気ガスと騒音をまき散らして、乗用車やトラックががんがん走る国道沿いに、ケンイチの家はありました。国道といっても昔の田舎のことですから「対面通行の舗装道路」程度の道でした。夜中、居眠り運転のトラックが近所の家に突っ込んだことがあって、その後、町内では国道に面した部屋に布団を敷くことは禁物となりました。
ケンイチの家は、国道沿いにぼろ家が軒を連ねた中でもひときわ間口が狭く、両隣に支えられて建っているような有様でした。万一災難に見舞われれば、甚大な被害を受けることは明白でした。でも、いっそ壊してもらえば補償金で新しい家が建てられるなどと、思いつきもしないのが昔というものです。
ある日、ケンイチの家に、ザルに入ったトマトがやってきました。とうちゃんがステテコ姿だったので、夏のことです。ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃん、そして小学校に上がったばかりのケンイチと妹の5人が、ザルをのぞきこんでおりました。
「これはどうやって食べるものなのか」
大人たちは、いやケンイチだって、トマトくらい知っていたかもしれません。しかし、ケンイチの家にトマトというものがやってきたのは、その日が最初でした。例えば世の中にかあちゃん以外の女の人がいるのは、ふつうに見ているから知っています。しかし初めて女性を抱きしめることは、全然別の体験です。
トマトは、国鉄の駅前にあった「もりたの八百屋」で、かあちゃんが勇気を出して買ったのかもしれません。かあちゃんは、貧乏なコメ農家に生まれ、嫁いできてからも貧乏なままでしたが、時々びっくりするような冒険心を発揮して家族を驚かせることがありました。
あるいはレンガ職人のとうちゃんが、仕事先で貰ってきたのかもしれません。いずれにしろ、トマトの食べ方で決断を迫られているのは、一家の主であるとうちゃんでした。
「砂糖をかけよう」
真っ赤なトマトを数分にらみつけた末に、とうちゃんが言いました。とうちゃん自ら包丁を入れ、種でドロドロになったトマトに、たっぷり砂糖がかけられました。そのころ、イチゴに砂糖をかけて食べるのが普通でしたから、あながち突飛な判断だったとも言えません。
ケンイチの口の中に、甘くて酸っぱい味が広がりました。生まれて初めて食べたトマトでした。以来、家ではトマトは砂糖をかけてかぶりつくものになり、その後ケンイチはバナナやパイナップルといった、遠い外国の味とも出会いました。ボロ家には世間にワンテンポ遅れて、洗濯機やテレビ、扇風機などが次々とやってきました。
家の外では、心配しなくても鉄腕アトムや鉄人28号が毎月、悪者をやっつけてくれていました。
「ドレッシング、どれにする?」
ケンイチの奥さんが、冷蔵庫のドアを開けたまま尋ねました。並んだ晩ご飯のサラダに、八つ切りにしたトマトが添えてありました。その鮮やかな赤に、ケンイチは一瞬、軽いめまいをおぼえて意識が飛んだのでした。
仕事に加えて、次の日曜日には父親の十三回忌が迫っていて、なかなか忙しい毎日なのです。来年は母親の七回忌ですが、前倒しでそれも併せた法事にする予定です。
「いや、いらない。今夜は塩でいい」
奥さんに返事をして、ケンイチは気づかれないように微笑みました。