ことばを食する

本たちとの、出会い、すれ違い、言葉との恋愛。つれづれなるまま記していきます

小説家としての鎮魂 〜天童荒太「ムーンナイト・ダイバー」

 この1冊、なぜ手に取ったかと言えば、文庫本の帯で3.11、あの東日本大震災に向かい合った作品だと知ったからです。天童荒太「ムーンナイト・ダイバー」(文春文庫、2019年。単行本は2016年刊)。そのままレジに向かったのは、平日午後の比較的閑散とした書店でした。

 小説家が、言葉を絶する現実の事象に向き合った作品として、私が真っ先に思い浮かべるのは村上春樹さんの「アンダーグラウンド」(講談社、1997年)です。地下鉄サリン事件についておびただしい本が出た中で、優れた記録を残したのはノンフィクション作家たちより、むしろ小説家である村上さんのノンフィクション作品「アンダーグラウンド」でした。当時、文学の世界からこの作品が出てきたことに衝撃を受けたのを思い出します。

 だから今度は天童さんが、3・11とどう向かい合ったのか興味を持ったのでした。

 

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ムーンナイト・ダイバー

 

 生き残った人と、逝ってしまった人。これは災害で理不尽に生死を引き裂かれた人たちの鎮魂の物語です。生き残ってしまえば、積み重なる時間があり、新しい食欲も、ときめきも生まれる。けれど、ときに不器用でもそれぞれのやり方で鎮魂を遂げなければ、人は新しい時間を始められない。

 「ムーンナイト・ダイバー」はもちろん、ノンフィクションではありません。天童さんらしい小説家としてのアプローチです。テーマ的には、直木賞受賞作の「悼む人」に連なる作品なのでしょうね。

 天童さんは「家族狩り」「永遠の仔」と、どちらかと言えば大作型の作家。ただ「ペインレス」(新潮社、2018年)に至り、言葉の力業に頼る姿勢が勝って、実はちょっと辟易していました。言葉の力業。言葉を積み上げて描写する技術にエネルギーを注ぐ余り、読む側からするといささかリアリティーを欠いてしまうことです。「ムーンナイト・ダイバー」はそこをうまく切り抜けた作品でもありました。